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期待はどこに向かっていたのか。

  • 2010.07.13
  • 参院選が終わって、やっぱりと言おうか勘違いと言おうか、消費税はまったく争点なんかではなかったように思います。
    やっぱりいうのは、「争点にしちゃいけないんですよ」と、「公務員制度改革こそが本丸ですよ」という自分の意見に対して。勘違いというのは。「争点になっちゃってますよ」と警告した自分の意見に対して。国民はそこまでバカではなかったということですね。
    ただ、一方で民主党内の小沢氏に近いとされる議員や幹部からは「消費税を争点としたことで大敗した。執行部の責任は重い」なんてことをおっしゃる方がいるようで、この人たちは本当になにもわかっていないようです。そもそも負けたのは小沢さん、あなたのせいでしょうが、と、あなたが強引に展開した2人擁立作戦はまんまと失敗したでしょうが、と言いたいのですが、今日はやめておきます。

    で、結果に対してどうこうは朝から晩から終始やってますのでそれに任せるとして、まぁ、それにしても国民の行革を求める声が大きいことは、民主党は自らがそれで資格保持者となったのだからわかっていたとしても、ここまで大きいとまでは想像できなかったのでしょうか。
    今回の参院選において、行革に対するポイントとなる点は、
    ・自民の勝利
     →消費税増税を言い出したのは自民党であって、国民は消費税自体に反対していたわけではなかった。
    ・みんなの党の躍進
     →「行政改革/公務員制度改革」をその旗印としているみんなの党がこれだけを支持を得たということは、とにかくそれをやってほしいという国民の声の表れであった。
    ・蓮舫氏が171万票を獲得
     →善し悪しはともかくとして、事業仕分けに対する期待度を反映している。

    で、どうするか。
    民主党の幹部を含め、議員たちのなかには、未だに「政権を取ってまだ10カ月」なんてことを言う人たちがいます。
    ところが政権をとってからのこの10カ月の間には150日間を会期とした通常国会もきちんと開催されているわけだし、民主は連立政権として、衆院、参院ともに過半数を維持していたわけで、まさに自分たちの政策を通そうと思えばいくらでも通せたはずだという事実があります。ところがこの第174通常国会においては、前代未聞の10本もの強行採決を行いながら、提出した法案は63件、そのうち成立はわずか35件という、戦後最低のものとなりました。
    しかも、こういう記事がニュースになること自体がおかしいのは、仮にその35件が戦後最低であったとしても、例えば公務員制度改革法案であったり、議員定数削減法案であったり、議員年金削減や議員報酬改定、または独立行政法人や公益法人に対する規制や罰則強化であったりするようなものであったら、国民は拍手喝采で民主党をたたえたのではないでしょうか。
    ところが実際に可決されたのは子供手当や高校無償化といったバラマキ法案であって、国に予算がないなかで強行に可決施行することは本来的に正しかったのかという疑念は尽きません。

    そもそも、民主党は、今回の参院選の比例区での当選者を見ればわかるとおり、公務員労組や自治労、労組、総連、連合、日教組といった、いわば雇用される側の人たちが加盟、参加している団体によって支持されていることがわかります。一方の自民党の支持母体は経団連。最近はその協力関係は希薄になっているとは言うものの、この経団連は基本的には会社を経営している側、いわば雇用している側の支持ということになり、自民党VS民主党という構図は経営者VS労働者と置き換えることができると思います。

    経営者は自分の得た売上のなかから、人件費や設備投資、研究費などの経費を除いていって、最終的な利益のなかから「手当て」としてのボーナスを支給したり、社員のレクリエーション施設に投資したりしたいと思うはずです。
    一方の労働者側は、会社の売上は自分たちが頑張ったからだ、との考えから、自らの給与増額、待遇改善をまず要求するでしょう。それが例え会社の経営状態が悪化しようとも、自分たちは頑張っているんだと、経営が良くないのは経営者の経営感覚が鈍いからだ、と。

    こういった考え方はかつての日本ではごく当たり前のものでした。労働者はそのほとんどが労働組合に参加し、待遇改善を要求してストを行ったりメーデーに行列を組んでデモ活動を行ったりするのもごくごく当たり前のことでした。経営者は敵、組合員は同士として、尊敬されるのは社長ではなく組合長でした。
    ところが時代は変わり、ファーストリテイリングの柳井氏やソフトバンクの孫氏、楽天の三木谷氏やサーバーエージェントの藤田氏、和民の渡邊氏など、新興会社の社長に注目が集まるようになると、その経営手腕や生き方に対して「あこがれ」を抱くような人も増えてきました。経営者が優秀であれば会社は確実に売上を伸ばし、社員の待遇は良くなるんだと、そういうことが世の中にきちんと伝わって行きました。
    日本人の性格がずいぶんと変わっていったことも影響しているのだと思いますが、デモを行ったり、ストを行ったりすることは「恥ずかしい、みっともない」ことのように思えるようになってきました。
    このような時代のなかで、労組幹部を次々と擁立し、自身に取り込んでいく民主党は、明らかに時代に逆行していると言わざるを得ません。
    労組幹部を擁立する理由、それはただ単に「当選が見込める」からに過ぎません。選挙のための政治、自民党時代にさんざん行われ、国民が最も忌み嫌う政治手法がこの党には未だ残されているのです。

    さて、今回、我々国民は、民主党に対してNoを突きつけたわけです。そのことによって、民主党では逆に上に書いたような労組幹部ばかりが当選する結果となったのは皮肉なことです。けれども、民主党は参院選の敗北から何かを学ばなければいけません。国民はそのおかしさに、わずか10カ月で気づいたわけですが、党内からは未だ「小沢氏を9月の代表戦に」などという声も挙がっているようで、この人たちが本当に何かを気づけるのは、本当に何かを学べるのはまだまだずっと先なのかもしれません。
    ただ、それまで国民は辛抱強く待ち続けることができるのでしょうか。耐えることができるのでしょうか。「国民に対して真摯に」、選挙前にはそう言い、選挙後においてもそう繰り返すその言葉を口先だけではなく、常に心に抱いて政治活動を行ってほしいと願います。

    テーマ : 政治・時事問題
    ジャンル : 政治・経済





    争点ってなんだろう。

  • 2010.07.09
  • いよいよ参議院議員選挙。
    で、一般的に今回の「争点」と目されているのが、消費税の増税。
    ところが、増税案を提示しているのは自民と民主という“二大政党”であって、その他の極小政党は基本的に増税反対だという。これについて「消費税は上げていいか/上げられたら困るか」という単純な論理で投票活動が行われるのは実はとても困ることなんですけど、YESかNOか、白か黒か、と訴えるのはとてもわかりやすいので、どうしてもこういうことになってしまいます。

    で、これに関してまず思うのは、「増税反対」と言っている極小政党の人たちについて。
    「あなたたちのやってることって“後出しジャンケン”じゃない?」

    だってまさにそうでしょう。ついこの前まで、それこそほんの1カ月前まで消費税の増税論議なんて一切なかったはず。ただ、参院選挙を控えるにあたって、民主や自民が「消費税の増税」を訴えているのは自身の政策実行のスタンスに対しての明確な意思表示であって、これ自体、なんらおかしなことはないわけです。
    「自分たちはこうやって財政再建をしますよ」
    実にわかりやすい。

    ところがところが、他政党はこれに一斉に反論。消費税増税絶対はんたーい!の大合唱。
    なんだこれ?

    そうじゃないはず。
    自民や民主が消費税増税を行うことによって財政再建や経済対策を行うとしているのであれば、他の政党も、自身は何を行うことによってこれらを実行するのかを伝えなければいけないわけで、誰かが出した案に対して反対することが自身の案というのではあまりにもお粗末すぎます。
    もちろん、いろいろ言っているのかもしれない。案を抱えているのかもしれない。けれどもそれが伝わってこない時点で、それは「言っていない」に等しいのだと、そう考えなくてはいけないはずです。もし本当に伝えたいことがあるのなら、必死になってアピールしなければいけないはずです。

    さて、で、消費税増税。
    これに対して毎日jpで、特集記事が組まれていました。
    2010攻防の夏 現実味帯びる『消費税10%』と『法人税引き下げ』

    で、このなかでも述べられていますが、いったい何のために増税するのでしょうか。

    僕はおそらく今の日本のなかで、本当に増税に反対だと考えている人はすごく少ないのだと思います。もちろん、増税に賛成だという人が多いということもないでしょうから、その基本的なスタンスは「増税やむなし」といったところ。
    これだけ国の借金が増え、社会保障費が増え、経済の低迷から税収が見込めないのであれば、それはやむを得ないという空気が流れるのは必然。勤め先の売上が低下しているのであれば給料がカットされてもやむを得ないと考えるのと同じ論理です。
    ただ、その使い途に対しては一言言わせてほしいよ、と。単に増税するだけじゃ嫌ですよ、と、こういうことなのではないでしょうか。

    まず、どうして5%なのか。
    国債や借入金などのいわゆる「国の借金」の総額は882兆円だと言われています。この内訳を見ていくと、国の国債累積額は720兆円、2010年度の新規国債発行額は44兆円(財務省の試算では、2011年度は51.3兆円になると見込まれているとも)です。2010年度に国債費として20.6兆円が使われる予定で、うち9.8兆円が利払いに、10.8兆円が債務償還に充てられています。
    これを消費税でなんとかしようと計算してみます。
    消費税を1%上げて増える税収はおよそ2兆円。だとすると、5%上げれば10兆円の歳入増となります。この消費税の増額分を全額国債の返済に充てると考えます。

    改めて整理してみると、国債発行額は44兆円、そのうち、9.8兆円の利子と10.8兆円の債務返済、さらに10兆円分が債務返済に充てられるとすると、年額23.2兆円ずつ国債残高は増えていくことになります。この23.2兆円にも利子がかかってくるので、単純に現状の9.8兆円の利払い費で利子が全額償還できていると仮定すると、国債720兆円の利子が9.8兆円から計算すると、その利率は年1.36%ということになります。となると、増加する年額23.2兆円に関しては利子だけでも年額3155億にも達します。

    で、まったく現状維持のまま国債発行額を44兆円、利子返済額を9.8兆円、債務償還を10.8兆円+増税分10兆円として計算すると、29年後には国債発行総額は1500兆円に、50年後では2300兆円に達します。ちなみにこのときはその利子だけで31兆円となり、税収分が利子だけで食いつぶされるのも時間の問題です。さらに現実的には社会保障費は年額1兆円ずつ増加していくと見られていますので、その状況はもっと酷いものとなるでしょう。
    だとすると、とにもかくにも国の財政悪化をなんとか止めるのだ、とするのならば、国債発行額の44兆円と同額の歳入増とならなければいけはいはずで、先の消費税1%で2兆円という計算から導くと、22%増税で44兆円の税収が見込めるわけですから、消費税率は27%が基準ということになります。もちろんこれには社会保障費の増額分は含まれていませんし、これを実行したところで国の累積赤字は1円も減りません。
    本来22%の増税をしなければいけないのに、5%の増税しかしないのであれば、それこそ「焼け石に水」。なにもしないよりはマシかもしれませんが、したからといってその効果はごく限定的です。

    で、です。
    これまでは増額分が全額国の借金解消に使われること前提で話してきましたが、実際はまったくそんなことはないようで、この増えると見られる10兆円に関しての使途は一切明らかにされていません。それどころか、法人税は引き下げられ、食料品などの必需品は増税されなかったり、低所得者には還付がされたりということを考えれば、まるまる10兆円が歳入増となるわけでもなさそうです。

    となるとますますわからなくなる増税論議。どうして増税しなくてはならず、それらはなんのために使われるのでしょうか。

    どうしても増税しなければいけないのであれば、まず大前提として、いくらの増税が見込めるか、なにに使うのかを示さなければいけないはずです。それによって、税の使い途を我々国民が監視できるようになるわけですが、とにかくこの選挙に関してはそこが示されておらず、曖昧なままで投票行動に移らなければいけないことが本当に残念です。
    普通に考えれば、お小遣いが足りなくなって親に新しく借りるのであれば、「何に使うのか」を明示することはごくごく当たり前のはず。そんな単純なことができないのは、やはり財務省をはじめとした官僚に「細かなことはこちらでやりますから」と操られているのではないかと勘ぐりたくもなるものです。

    で、唐突に関係のないニュースを持って来ますけど、日経の7月9日のニュース。
    前原国交相、空港整備協や建設弘済会の解散表明 天下り解消狙う

    まぁ、簡単に言えば、天下りの温床となっている公益法人を解体するという、事業仕分けを拍手喝采で迎えた一般人から言えば、ごくごく歓迎できる話なわけですが、実はここにも落とし穴がありました。
    それはつまり「3年後をめどに解散する見通し」というところ。この件に関して、前原国交相は4000人以上の職員の再就職などを考えると、との発言をしているとの報道もありますが、どうして単に無駄遣いをしていて、それが元で解体される職員の再就職の面倒まで考えなければいけないのでしょうか。民間だったら、即日解雇で済む話、それが3年ですから、これは現実にはその3年で「看板の付け替え」を行うという意思表示と取れると思います。

    で、で、戻って。
    つまり官僚達の考え方は、あくまでもこの「看板の付け替え」に過ぎないのでは、と僕は考えています。消費税というところに手を付けて税収を確保するけれど、単にそれを借金の返済には使わずに、さまざまな形を変えさせて結局無駄遣いするつもりなんだろう、と。
    その無駄遣いを事業仕分けなどで一見やめさせたように見える民主党。ところが本丸であるはずの公務員制度改革には結局手を付けずで……。まぁ、そういうことです。

    最後に。
    22年度における公務員総数は295.8万人。その人件費総額は27.6兆円だそうです。
    民主党の先の総選挙におけるマニフェスト、「公務員人件費2割削減」では、国家公務員の人件費5.3兆円から1.1兆円を削減するとしています。これは即ち、給与の削減ではないのですが、それでもこの2割削減という目標数値を、国家公務員・地方公務員に当て嵌めることができれば、それだけで5.5兆円の削減が可能です。まぁ、一方で天下り対策として60歳定年を65歳定年に引き上げるとかいうまったく公務員にしか得とならない政策もブチ上げていて、逆に総人件費は上昇するなんて話もありますが……。

    とにかくやっぱり公務員。
    大変申し訳ないんだけど、この人たちをなんとかしないと、日本に未来はありません。「みんなの党」が支持率を伸ばしているのも、本気で公務員制度改革をやってくれるだろうとの期待を集めているからではないでしょうか。
    となると、本来は民主党が反故にした公務員制度改革こそが争点でなければならないはずだったのではと考えるわけで、都合良く「消費税が争点にさせられた」と思うと残念でなりません。

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    徹底的に叱らない。

  • 2010.06.25
  • 唐突ですが、子供をとにかく叱らないそうです。
    良いか悪いかはともかくとして『「叱らない」しつけ 子どもがグングン成長する親になる本』というものも発行されているくらい。
    で、amazonで、この本のレビューを見てみると、30件のレビューがついていて、平均点が4.5点。同じ著者の本には『「否定しない」子育て 親の「話す技術」「聞く技術」21』なんてものもあって、これはレビューが1件ながら満点の星5つ。

    いずれにしても本の内容がわからない以上、それこそあれこれ“否定”するわけにはいかないのですが、『「叱らない」しつけ』について書かれたレビューを見てみるだけでも、どうにも腑に落ちない。もちろん、人それぞれに考え方や方法があるわけですから、僕の考え方が正しいとも間違っているとも言えず、こればっかりはどうにも……なのですが、まぁ、ちょっと……モゴモゴモゴといったところ。

    で、本は読んでいないのでなんともかんともわからないので一切関係ない立場ということで書いていきますが、「叱らない」というのはどうやら昨今の流行のようであります。「叱らない」というか「否定しない」というか。

    これは、例えば「○○してはいけない」と言う否定型で「叱る・しつける」のではなく、「□□しようね」と肯定型で伝えようというのが、ものすごくざっくりとした表し方なのですが、極端な例を挙げれば、高い(危険な)場所で遊んでいる子供に対して、「そんなところで遊んじゃダメ」と言うのではなく、「こっち(平らな、安全な場所)で遊ぼうね」と伝えましょう、という感じ。で、これが極端すぎる事例かといえば、これがあながち遠からずなのでわざわざこうして書いているわけです。

    で、本当にこの肯定型だけでいけるのか検証です。

    言葉には裏表があるので、言葉の使い方を変えることによって、非定型を肯定型に変更することはある程度は可能だと思います。また、上に書いた例のように、場所や目的を変更することで否定しない言い方に変えるということも可能ではあると思います。

    で、例え話。
    僕は小さいころから釣りが好きで、今でも趣味として続けているのですが、この「釣り」を子供に教えようと思ったら、肯定型だけではとてもとても、と思ってしまいます。
    釣りでは、先が鋭く尖った針を使うし、糸を切るのにはハサミを使うし、仕掛けによっては重たい錘も使うし、それらを長い竿にくっつけてブンブンと振り回す自体も予想されます。また、釣れる魚にしても、鋭いトゲを持ったもの、毒を持ったもの、あるいは捕獲することや持ち帰ること、リリースすることが禁止されている魚もいます。海や川、湖といった釣り場は、水辺に近づきすぎたり、天候を見誤ったりといった、安易な行動は死に直結しますし、同じ釣り場での対人関係などもとても重要な要素のひとつとなります。そういったすべての事柄を伝えるのに、「□□しようね」なんて(ある意味)生易しい言葉で対処できるのかでしょうか。
    ・針はこう持とうね
    ・ハサミはこう使おうね
    ・竿は気をつけて振ろうね
    ・すぐに魚には触らないようにしようね(“ない”が入ってしまいました。残念)
    ・このお魚は逃がそうね
    ・こっちで釣ろうね
    ・あっちに投げようね
    うーん……。これらすべての言葉に対して「どうして?」と問いが返されたらどうしましょうか。「危ないからだよ」と返しましょうか。だとしたら最初に、「危ないから、ハサミはこう使おうね」と言いましょうか。
    なんとかできそうな感じはします。

    でも、それでも僕は事前に「絶対してはならない、絶対守らなければならない禁止事項」をひとつずつ時間をかけてきちんと説明し、それらが守られなかった場合には厳格な対応を取る必要があると感じています。それは漠然とした教え方では危険を防御できないからです。

    こういう考え方には、「最初からダメなことばかりを教えてしまうと、せっかく興味を持っても、おもしろいと思わなくなってしまう」という意見によって抵抗を受けるでしょう。
    でも違います。こと釣りに関してのみのことを言えば、どんなに禁止事項でがんじがらめにされたとしても、魚がかかった瞬間の、釣り上げたときの、あの興奮を体験すれば、そして、これを体験するためにたくさんの守らなければならないことがあるのだと考えられれば、そんなのを守ることぐらいなんともないことになるはずです。
    子供に「楽しみ」を与えてあげられない、大切なものを教えてあげられない親が、子供の様子にビクビクおびえながら子育てをしているから、「せっかく子供が興味を持ったのに」と考えてしまうのではないでしょうか。

    例えばご飯。「また今日もハンバーガーを食べさせてるの?煮物も食べさせなさい」と無理矢理食べさせようとするお姑さんに対して「せっかくこれなら食べると言ってるんだから」。
    例えばゲーム。「こんな時間までゲームさせてるのか?」と帰宅したパパに言われて、「せっかく興味を持って夢中でやってるんだから」。
    まぁ、こういう例は少ないにしても、「子供の興味」や「やる気」だけで物事を判断するから、うまく叱ることができないんじゃないかと、僕はそう感じます。
    スポーツ選手だってそう。すべての成功しているプレーヤーが、はじめからうまく、褒められることだけでその地位を得たわけではないでしょう。それでもホームランを打つことの楽しさや、相手を打ち負かしたとき、昨日より早く走れたとき、そういったさまざまな楽しさを教え、与えてあげることで、単なる「興味」や「やる気」より強い継続力が出てくるのではないでしょうか。


    少し脱線しましたが、もちろん日常生活においては、なにをしでかすかは事前に想像つかないわけですから、あらかじめ危険を想定して禁止事項を伝えきることは難しいかもしれません。それによって、事前の注意なく、事後にいきなり叱りつけることだってあるのかもしれません。その場合にも「~~しようね」で対応するのでしょうか。
    いきなり叱りつける、もちろんそれはけして褒めらることではないのかもしれませんが、それでもその「叱る」のか「叱らない」のかの判断は、その行動に対する危険度、反社会度を親が判定して決めるしかないのではないでしょうか。
    子供は「してはダメなこと、守らなければいけないこと」を知りません。「愛情を持って接することで子供は自然と親が嫌がることはしなくなる」という考え方もあるように聞きますが、この「愛情」という言葉が実はくせ者。子供の行動すべてを「親の愛情」という漠然としたものの深度で図られたのでは、たまったもんじゃありません。
    「ウチの子が言うこと聞かないんです」→「愛情が足りませんね」
    「ウチの子が偏食するんです」→「愛情が足りませんね」
    「ウチの子がよその子をいじめてるみたいなんです」→「愛情が足りませんね」
    「成績がよくならないんです」→「愛情が……」
    これではなにか問題に突き当たる度に「自分の愛情が足りなかったのでは」と、ノイローゼになってしまうでしょう。

    “愛情”などという漠然としたものに支配される前に、しっかりと考えなければいけないのは、とにかく「叱らなければ」いいわけでも、「叱れば」いいわけでもないはずだということ。いいことをしたり、なにかを達成できたのであれば、ごく自然に褒め、悪いことをしたり、決まりを守らなかったら、ごく自然に叱る──、こんな単純なことがどうしてできないのか、そこが一番の問題なのです。いろんな知識を詰め込みすぎて、いろんな情報に頼りすぎて、本当に大切なことが見えなくなっているのではないでしょうか。


    さて、ここで今まで書いたことを全部白紙に戻して、百歩譲って、子供が2歳や3歳、5歳や10歳であるのなら、「叱らない」「否定しない」でもまだいいでしょう。
    問題は、この「叱らない」「否定しない」が、中学生や高校生に対しても行われているようだということです。

    例えば×をつけない採点というのがあるそうです。
    間違いを指摘して単に×としてしまうのではなく、「もっとこうしたらもっと良くなったのにね!」みたいな助言をする採点の仕方で、どんな間違いであっても、それは間違いではなく、限りなく△に近くなるという、学生にとっては夢のような採点の仕方です。
    もちろん助言があれば、確かにわかりやすいです。「そうか、もっとこうすればよかったのか、ふむふむ──」と学生は感じるでしょう。復習として学びやすいし、理解力も深まりそうです。
    こういう×をつけない、悪いところを指摘しない、否定しない方法の根本にあるのは釣りのところであげたものと同様に「注意してしまうことで子供のやる気をそいでしまう」という考え方のようです。どんなに嫌でも勉強はやらなければいけないわけですから、せめてやる気だけでもなくさないように、というところから来ているのかもしれませんが(あるいは単にやめられたら営業的に問題が生じるのかもしれませんが)、果たしてそうでしょうか。「できないこと」「苦手なこと」「ダメなところ」をきっちりと教えてあげる、そのうえでそこが克服できたとしたら、それは喜びにはならないでしょうか。そしてなにより、できないことを指摘することでしか「なにをしなければならないのか」は伝えられないと思うのですが……。

    僕はこういう教育の仕方は、なんというか、子供の手を引っ張っているだけのように感じます。子供自体はあるポイントに立っていて、足はそこから動いていないのに、手だけを引っ張ってその先にあるものに触らせてあげているような、そんな感覚です。子供はその先にあるものを少し触ることによって、自分がそこに到達したように感じるでしょうが、肝心の本体は残ったまま。手が伸ばされれば伸ばされるほど広い範囲に手が届き、多くのものに触れることはできるようになるでしょうが、結局は触っただけで、それを自分のものとしているわけではない、そんな感じです。
    「頭でっかち」──。そんな言葉が浮かびます。身についていない、体験を通していない、単なる知識──。現代の子供に応用力がないと言われるのはそういうことが原因なのかもしれません。


    楽しく子育て──。
    これもよく聞かれる話です。
    僕はまだ子育てをはじめたばかりで、まして、我が子はまだ親の存在すら理解できないような状態ですから、子育てについて語る資格を得ていないのかもしれませんが、子育てはけして楽しいものではなく、とても辛く厳しいものだと考えています。
    子供に“愛情を持って”接し、子供の人格を“尊重”し、子供の“理解者”になる──。一見、すごく正しいことのように見えますが、それはもはや教育ではなくて、友情や恋愛です。

    それはもはや「楽しい」子育てではなく「楽な」子育てではないでしょうか。

    テーマ : 日記というか、雑記というか…
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    常盤荘太郎

    Author:常盤荘太郎
    いろいろと調べることが好きで、そのことでわかったことを基本に日常の疑問、感じたことなど、日々の話題にいろいろとツッコミを入れていきます。
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