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    逃亡者。

  • 2009.11.18
  • 自暴自棄になっているのでしょうか、市橋が食事を拒み続けています。

    彼は逃げた。それは(国家における法的な)罪を認めたくないというものではなくて、単に自分を正当化する手段としての逃げだったのでは、と僕は考えます。「自分は悪くない」と。

    彼にとっては彼女を殺さなければいけない理由があった。殺してしまいたくなるほどのなにかがあった。けれど、それは自分と彼女の間に起こった理由であって、その理由を他人に理解してもらいたいとは思っていない。自分ではない他人に、その場にいなかった他人に「それを理解できるはずがない」。
    そして思う。「自分は悪くない」「仕方がない」と。

    だから逃げた。
    罪を犯したという考えが存在しない以上、逃げ続けることを悪いことだとは思わなかった。
    そして捕まった。

    それによって彼の意志は崩壊したんじゃないでしょうか。彼にとっては「捕まらない」ことが自分を支える唯一の砦だったのだから。「捕まらないのだとすれば、神さまが自分を赦してくれているのだ」と考えることができた。
    これは逆説的に考えれば「捕まったのだとしたら、神さまが“罪を認めろ”と言っている」と捉えることもできますが、彼は違った。
    「神さますら自分を理解してくれないのか」

    もともと罪を償う気持ちなどないから事件について話す必要などない。罪を償って、再起しようという気などないから捕まった以上、生きていくつもりもない。必然的に、すべてにおいて気力もなくなり、食欲もなくなっていく。

    でも、これは彼特有の考え方でも行動でもないですよね。
    人は誰しも自分自身に大きなショックが降りかかったとき、食欲がなくなったり、生きていく気力がなくなったりしますよね。
    たとえば、愛しい人に別れを告げられたとき(恋愛でも死別でも)、ご飯が食べられなくなったりしたことは誰しも経験のあることでしょう。リストラを告げられて、ご飯をおいしく食べられる人もいないでしょうし、財布を落としてがっつりご飯を食べられる人もいないでしょう(この場合、金銭的にも無理ですが)。
    問題は、いつその状態から抜け出すのか、です。

    通常は、例えば上の例で考えれば、新しい恋人を探すとか、新しい職場を探すといった努力目標を挙げることができます。誰かが死ぬことは至極当たり前のことですし、財布を落としたからといって、この先、生きていくことができなくなるわけでもありません。
    逆に考えれば、努力目標を見いだすことができなかったり、全財産を失ったりすれば、生きていくことを諦め、残念なことに自殺することもあるでしょう。

    でも、彼は違う。
    努力したところで“捕まってしまった”彼の生活にはなんの変化も訪れません。
    「死を選択する」にしても、悲観から死までの時間的余裕すら与えられなかったわけですから、それも適わなかったということになります。これはつまり、通常であればリストラ告知→即自殺は考えられず、例え1分にしても1時間にしても時間的余裕はあるはずですが、彼は逮捕→即拘束ですから、その考えを巡らす、あるいは実行する余裕もなかったということになります。
    まして、彼は「罪を犯した」ことから逃げていたわけではありませんから、逮捕されたという事実が、彼を諦めさせることはありません。


    福田和子と彼の決定的な違いはここです。
    彼女も彼同様に逃げた。
    けれども、彼女は「刑務所に入れられること」から逃げていたのであって、そこに罪の意識は存在していたと考えられます。
    なぜ、彼女は15年もの長きに渡って「刑務所に入れられること」から逃げ続けたのか。「15年あれば罪を償って出所することもできたのではないか」という世間一般の考えは彼女には通用しません。

    彼女は18歳のとき、当時同棲していた男と強盗事件を起こし松山刑務所に収監されます。当時、その刑務所内には第一次松山抗争で逮捕されていた暴力団員の男が収監されており、この男が看守を買収、囚人女性を強姦するという松山刑務所事件が発生、彼女はその被害者となっています。
    収監されるきっかけは自身の強盗事件ですが、だからといって強姦されていいはずがなく、彼女にとって刑務所とは「罪を償う場所」となりえなかったのです。

    彼女の生い立ちがそうさせたのか、松山刑務所事件も関連するのか、それとも性格的な問題か、彼女は再び事件を起こしてしまいます。逃亡の経緯は彼女自身の書き上げによる『涙の谷』に譲るとして、彼女は逮捕後、率直に罪を認めています。
    逮捕の2年後、1999年、松山地裁は無期懲役と判決を下すも控訴、2000年に高松高裁にて控訴棄却、最高裁へ上告するも2003年上告棄却、刑が確定します。
    彼女が控訴、上告を繰り返したのは、殺人そのものに対してではなく罪の重さに対してでした。検察側は計画性を主張した上で無期懲役を求刑、一方、弁護側は突発的であることを理由に有期刑を主張しました。裁判の争点はこのように、計画/無計画であったはずなのに、計画性は否認された上で無期懲役という判決となり、これには15年に及ぶ逃走劇が悪材料として判断されてのこともあるかと思います。

    この判決について彼女は「有期なら18年の刑でも務めるつもりだった」と、また「遺族感情を思うと、このまま服役したほうがいいと思うが、事実と違う点が多く、控訴審ではっきりさせたい」として控訴を決意したという。

    上告棄却により刑の確定を受けて後、1年と3カ月、彼女は和歌山刑務所内で倒れ、市内の病院に運ばれたが死亡、死因は脳梗塞でした。受刑者でもあり、その詳細は明らかにされてはいませんが、確定後に死亡したということは「ある程度」の責は果たしたと考えていいのでしょうか。
    もちろん、刑の執行完了を待たずに死亡したこと自体で考えれば、その責は果たされてはいませんが、自ら招いた結果とはいえ、屈辱を受けた刑務所内ではなく、死亡したのがせめて病院であったというのが唯一救われるところかもしれません。


    さて、このように福田和子には明解な意志が存在しています。罪の意識も、その深さも、十分に把握していますし、「有期なら」と言っていることから、服役後の自分についても、将来像を見ています。また、事実認定について争う姿勢からは、「自分を理解してほしい」という、ごく一般的な感情も見えてきます。

    けれども市橋にはそれが見えません。それが見えない以上、彼を救うことはできないのだと、そして被害者が救われることはないのだと、僕はそう感じます。


    テーマ : 気になるニュース
    ジャンル : ニュース





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