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    「ノンアルコールのビール風味飲料」とか言ってますが。

  • 2010.08.12
  • 猛暑で売れすぎ…販売休止 サントリーのビール風味飲料『オールフリー』」とか。
    これってどうなんだろうって思ってましたけど、各社本格参戦で販売は本格化しそうな情勢に。
    まとめると、
    ・キリン「フリー」…他社に先行
    ・アサヒ「ダブルゼロ」…カロリーゼロ
    ・サントリー「オールフリー」…カロリーゼロ、糖質ゼロ
    といった感じ。

    で、これはもちろん従来型のノンアルコールビールとは違って、アルコール分をまったく含んでいないというのがその大きな特徴なわけですが……、だったら子供が飲んでも構わない?ってことで。

    まずはこのノンアルコール飲料というものに対する考え方から。
    2010年7月17日asahi.comより。
    カクテルなのにノンアルコール アサヒ『子どもはダメ』
    記事をまとめると──
    アサヒビールは「ダブルゼロカクテル」という名前のノンアルコールのカクテルとして、ジントニックテイストを9月、カシスオレンジテイストを11月にそれぞれ発売するという。で、「アルコールゼロの飲料は20歳以上を想定して開発しているだけに、メーカー側は未成年が買わないように『お酒売り場』で扱うことを求めている。だが法律上は販売を拒否する理由がないため、店頭では販売方法をめぐって戸惑いが広がっている」のだとか。
    で、記事内に一例として挙げられているものとしては、
    ・大手コンビニエンスストア……ノンアルコール飲料を売る場合、ビールなどと同じように店員に年齢確認を促す表示がレジに出る。ところが法律的にはお酒ではないため確認を義務づける根拠はなく、「実際は店員の対応任せで、そのまま販売しているケースも多い」。
    ・別の大手コンビニエンスストア……ノンアルコール飲料と通常のビール、カクテルなどが同じ棚に並ぶことを懸念する。「お酒を買いに来たお客さんが間違ってノンアルコール飲料を買って、苦情につながるケースが考えられる」ため、ノンアルコール飲料と一目で分かる表示を売り場に新たに設けることも検討中。
    ・大手居酒屋チェーン……未成年が頼んでも、お酒ではないので断る理由がない。対応は各店に任せている。
    などなど。

    まずね、この時点で、「だったら出さなきゃいいのに」と思いますよね。ビールにしても、カクテルにしても、“ノンアルコール”ビールだとか、“ノンアルコール”カクテルだとかにしなきゃいいのに、と。“甘くない炭酸飲料”とか“すっきり味のジュース”とか、“大人のジュース”とかにすりゃいいじゃねぇか、と。
    で、なぜ、そうしないのか。これは同記事内に答えが書かれていて、「お酒を飲む20歳以上の大人を想定して販売するため、価格も酒税を含む通常のカクテル飲料に近づくとみられる。アルコールゼロなら酒税がかからないため利幅が大きくなり、収益向上が課題のメーカー側にとっては貴重な商品というわけ」だとか。

    ふざけんな、と。
    はい、僕、この件に関して、かなり怒っています。


    実際問題として、ビールをこよなく愛する僕にとって、ノンアルコールビールというのはかなり嬉しいものであることに間違いはありません。出始めのころはとてもとてもお世辞にも飲めたものではありませんでしたが、最近のものは味もしっかりしてきたことで違和感なく飲めるようにもなりました。
    どういうときに飲む機会があるのか、といえば、それは圧倒的に法事の席です。普段、ファミリーレストランでノンアルコールビールを飲もうとまでは思いません。ほかに運転できる人がいれば頼んだ上でしっかりと「本物の」ビールを飲むし、いなければ飲まない、ただそれだけのこと。どうせすぐに家に帰るのだし。ただ、法事は少し違う。なぜなら、法事の後の飲食は、親族なども多く集まってそれなりの時間がかかることが通例で、その長い時間になにも飲まずってことはできません。出される料理も刺身や天ぷらなどの、懐石風の弁当などが多く、普段からお酒を飲んでいる人にとってはジュースやお茶で食べる気持ちにはなれないのが心情。もちろん、そんな席であっても、誰も運転を代わってくれる人がいないのなら我慢するしかないわけで、そこにノンアルコールビールがあればおいしくいただくし、なければこれも我慢するしかない。つまり、ノンアルコールビールに関する話は、そもそも「我慢できるか、できないか」という単純な問題でしかないわけです。
    お酒を飲まない人からは「酔いもしないのにそんなの飲んでおいしいのか?」とも言われますが、基本的にビールの1杯や2杯、ジョッキの3杯や5杯、瓶の5本や10本では酔うことがない僕にとっては、単なる「食事中の喉の渇きを潤す適当な飲み物」に過ぎないわけで、ビールよりさらに適当な飲み物があればそちらを選ぶだけの話。僕に限って言えば「ノンアルコールビールだからありがたい」わけでもありません。

    さて、で、ノンアルコールビール。あれば嬉しいけれど、なくても困らないこの飲み物に、僕は危機感を抱いているわけです。
    それはもちろん子供による飲用です。

    まずは2003年5月31日の北海道新聞の記事から。
    古いものなので既に北海道新聞のサイトからは削除されていたので魚拓より全文引用します。

    ノンアルコールビールで『酒盛り』 室蘭の中学生65人、飲んで学校が注意
     室蘭市内の中学生六十五人が祭りの際、集団でノンアルコールビールを飲み、学校側から注意されていたことが、三十日分かった。アルコール分が1%未満のノンアルコールビールは酒税法では酒類に分類されないが、微量ながらアルコール分を含んでいる。
     室蘭市教委によると、二十四、二十五の両日、同市内の祭りの露店で同じ中学校の生徒六十五人がノンアルコールビールを購入し、飲んだ。二十六日に保護者の連絡を受けた学校が調べたところ、このうち四人の生徒は缶酎ハイなど酒類を飲んでいたことも分かった。
     この中学校は「飲酒や喫煙は違法行為。またノンアルコールであっても飲んだ量によっては酔うこともある」として、学年集会で注意し、保護者にも文書を配布した。
     同市教委は「ノンアルコールをうたっても微量のアルコールが含まれている。成長期の体に及ぼす影響も考えてほしい」と苦い顔。大手ビール会社は「ノンアルコールビールは未成年が飲んでも法律に違反しないが、あくまで健康志向の大人の飲み物という位置付け。未成年者などが飲むことは好ましくないし、ラベルでも注意を促している」としている。

    次にYahoo! 知恵袋より、2006年8月21日の質問。
    ノンアルコールビール使えば高校生でも祝勝会でビールかけしていいんですか?

    さて。
    この2つの例は、僕が危惧している問題と若干性質が異なります。なぜならこの時点では、ノンアルコールといえどもアルコール分は含まれており、未成年の飲用は制限されていたからです。もちろん、実際は違います。酒税法的にはアルコール1%以上を酒類としているので、実際は清涼飲料水の扱いであり、未成年者であっても購入や飲用は可能でした。ただ、販売店や提供側、そして家族などの自助努力によって守られていたといっていいでしょう。
    ところが今回は違う。まったくのアルコールゼロであって、どれだけ大量に飲もうが未成年に対する害は存在しません。また、上に販売店の対応として書いたとおり、各販売店によって対応はマチマチ。まったく問題なく販売している店もあるでしょうし、また、そうしている店に対して販売差し止めを求めることもできません。

    で、次に取り上げるYahoo! 知恵袋の質問は2009年11月13日のもの。
    高校の文化祭の打ち上げにノンアルコールビール(キリンフリー)で打ち上げをしたい…

    来ました。そりゃそうです。来るのが当然です。
    文化祭の打ち上げどころか、文化祭で堂々と販売し、全校生徒が飲んだところで誰にも文句は言われないはずです。
    で、果たしてこれは特異な例と言えるのでしょうか。


    ビールは、その飲み始めの当初はけしておいしい飲み物ではないはずです。小学生のころ、お父さんのビールグラスから溢れるいかにもおいしそうな泡を見て、少し舐めさせてもらったことのある人も多いでしょう。中学や高校に入って、大人のふりをして、こっそりビールを飲んでみて、そのあまりの不味さに吐き出した経験のある人も多いでしょう。大学生になって、あるいは会社に就職して、先輩に無理矢理飲まされて「マズイ。こんなの絶対飲みたくない」と思いながらも少しずつ飲み進めていくうちに、いつのまにか飲めるようになった、そんな人も多いでしょう。というより、そういう人がほとんどではないでしょうか。
    ビールだけではなく、タバコや赤ワイン、コーヒーや抹茶、ビターチョコだって最初からおいしいと感じたと言う人は少ないと思います。それは、苦味は「毒」の味として本能的に避ける習性が働くからだと言われています。

    食品メーカーのニッスイが「ニッスイアカデミー:おいしさを科学する」として、味覚や栄養素など、さまざまなものについて科学的根拠に基づいた分析記事を掲載しています。そのなかの「苦味」という記事中にこういう記載があります。
    「味を感知できる最低の濃度を閾値(いきち)といいますが、『苦味』の閾値は他の味に比べてはるかに低い値です。食物を口に入れたとき、ごくわずかな量でも敏感に苦味を感知することで、毒物の摂取をさけることができるようになっているのです」と。
    で、では「なぜ苦味を摂取できるようになっていくのか」については、このような解説がなされています。
    「ふだんは意識することはありませんが、食品の前提条件は、食べて安全であることです。『親がおいしそうに食べている』というのは、子どもにとって重要な情報です。安全であることがわかれば、親の食べる苦味のある食品にも、子どもは手を伸ばすようになるのです。そうした食経験の積み重ねが成長とともに嗜好を形成し、大人になると、苦い食品でもおいしいと感じられ、好んで摂ったりするようになるのです。『苦味は大人の味』と言われる由縁です。(中略)継続して摂取することで苦味に対する嗜好を獲得することは、実験によっても確認されています」

    つまり、僕が例に挙げた「お父さんのビールグラスから溢れるいかにもおいしそうな泡」というのは、単に泡がおいしそうだという視覚的なものだけではなく、「お父さんがおいしそうに飲んでいるから」という思いが加えられていることによって、より強い摂取欲となっているとも言えそうです。
    大人がおいしそうに飲んでいるビール──。そこにアルコールという物質が加わることにより年齢制限が設けられ、その年齢に満たない子供にとっては、「悪いことをしている」という自戒の念をとともに隠匿して飲まれていたわけで、そこには継続性は存在し得ません。そのことによって、「嗜好の獲得」の機会が絶たれていたわけですが、白日のもとで堂々と飲むことが許可されたのでは、子供たちは嬉々として早々にその嗜好を獲得し、機会さえあれば「ノンアルコール」ではない「本物のビール」を躊躇なく飲むのではないでしょうか。そのことを危惧せざるを得ません。
    「子供向けのビール」、そんな飲み物も昔から存在はしていました。ただ、大手メーカーがこぞって販売するのとはまったく問題の大きさが違う、そう思うのです。


    メーカーがさまざまに研究・開発を行い、新たな商品を市場に流通させることはけして悪いことではありません。ただ、それが単に利益追求のためだけに行われ、安全の確保や使用方法が一方的にユーザーに委ねられ、そのことによって多くの事故が起きてきた例は枚挙に暇がありません。
    メーカーは事故が起きてから製品を回収し、あるいはパッケージに注意書きを加えるなど、後付けでしか対処を行わず、起きてしまった不始末について責任を取ることはありません。

    今回のノンアルコールビールは、運転手や妊婦など、アルコールを摂取できない人には朗報となったかもしれませんが、それらの人々であっても一日中運転を続けるわけでも、一生妊婦を、あるいは授乳を続けるわけでもないわけで、飲料メーカーには、そのような「我慢が必要な」人々を助ける商品ではなく、例えばタバコのように料金を上げることによって制限を加えたりといった、「我慢を強制(サポート)する」というような社会性を考慮した活動をしてほしいと思います。
    タバコが徐々にニコチンの量を減らし、タール1ミリグラム、ニコチン0.1ミリグラムなど、「吸う必要ないんじゃねぇ?」といったような商品を多数発売したにも関わらず喫煙者数は減少せず、料金の値上げや嫌煙活動によって喫煙者が減少したように、実際に飲酒運転の罰則強化や不景気などによって酒類の売上は減少しているといいます。ところが、そういう風潮の中でも、なお、メーカーが「商売を続けよう(なんとかして儲けよう)」という感覚でいる以上、不法飲酒はなくならないでしょうし、新たな別の問題も起きてくるのでは?と考えますが、これまた言い過ぎでしょうか。

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    テーマ : 日記というか、雑記というか…
    ジャンル : 日記





    高校野球が大嫌い。

  • 2010.08.10
  • 単に趣味嗜好の問題なので、検証やら解決策やら、あるいは関連法案を探してきてなんてことは当然せずに短く。

    とにかく高校野球が大嫌いで仕方がありません。
    「だったら見るな」と言われるのもまさに仰るとおり。ただ、この時期、テレビのチャンネルを変えていると、どうしたって飛び込んでくるし、ニュースを見てたってスポーツコーナーでは伝えられるわけだし、まったく目にしないで生きていくためには、「この時期にはテレビを見ない」という生き方をするしかありません。

    で、なぜかように高校野球が嫌いなのか──。理由は2つ。NHKの放送の仕方と、球児たちの振る舞い方とのダブル攻撃によってこの状況が作り出されています。

    1つめ。NHKの放送の仕方。
    これはとにかく一言で言ってアップの多用がキツイ。全世帯とは言わないまでも、今やほとんどの家庭で地デジ化が進み、それに伴って画面サイズが大きくなっているのも周知の事実。なのに、というか、NHKの高校野球を見ていると、球児や監督、スタンドで応援している人たちなどが画面いっぱいになるくらいまで大写しになることが度々あります。家庭の地デジテレビの標準サイズが何インチなのかはわかりませんが、40インチくらいで画面いっぱいとなると顔の大きさ約50センチにもなって……(以下略)。

    2つめ。球児。
    まぁ、1つめはどうでもよくて、2つめの球児のおかしなポイントも1つめのアップ多用によって余計に違和感強く伝わってくるというか。
    で、おかしなところというのはズバリ帽子のかぶり方。
    で、で、試しに「高校野球 帽子 かぶり方」でGoogle先生で調べてみたところ、やはり同様に違和感を持っている人がそこそこいらっしゃることがわかりました。
    ポイントは3つ。
    1. ツバを極端に折り曲げている
    2. マークのところをヘンテコリンにつまんでいる
    3. 極端すぎるくらいに浅くかぶっている
    百歩譲って、1のツバはあまりにも極端でない場合はよしとしましょう。僕自身の帽子かぶり経験談から言っても、ツバが曲がっている方が視界がよくなるって感じは受けます。深くかぶりすぎることで左右が遮られてしまって、視界が狭まるってこともあるのですが、帽子はその多くは、暑く、明るいときにかぶるもの。逆に左右から入ってくる光が制限されて、前面に集中しやすくなります。僕は釣りのときに帽子をかぶるのですが、偏光グラスという、水面下の様子を見るための眼鏡をかけるときには特に横からの光は避けたいので、自身の帽子のツバも曲げ、深くかぶって魚を狙っています。
    で、問題は2と3。これは同じ問題で、マークのところをヘンテコリンにつまみたいから浅くしかかぶらないのか、浅くしかかぶらないからマークをヘンテコリンにつまむのか、どっちが先かはわからないのですが、とにかく絶対にヘン!
    「高校生間のファッション」といったものだとは思いますが、プレー中も帽子のかぶり方を気にしすぎていて、野球をしているのか、帽子をかぶる運動をしているのかわからないほど。特に投手などは1球投げるたびに帽子をかぶり直す始末で、酷い投手になると、1球投げるたびに帽子が脱げ落ちる場合も。もしそこにピッチャーライナーが飛んできて頭に当たったら、と思うとゾッとします。
    で、大学野球は、そしてプロ野球は、と見てみると、そんなかぶり方をしている選手は一人もいないわけで、どうして高校球児だけがあのようなヘンテコリンなことを、それも全国的にしているのかがますます不明です。

    「カッコつけたい、カッコよく見られたい」と思っているのでしょう。わかります。でも、ヒーローになるのは、そして「カッコイイ!」と、女の子をときめかせるのは、相手を完封したり、ホームランを打ったり、ファインプレーをする選手たちであって、「君の帽子のかぶり方、カッコイイね」なんてことでヒーローなったり、インタビューを受けたり、写真を撮られたり、まして女の子にモテたりすることはありえませんので。


    [追記]
    8月11日。何度も何度もニュースで流れましたが、仙台育英高校が最後にレフトの超ファインプレーともいえるダイビングキャッチで逃げ切った試合、このレフトの選手の飛び込みと見事なキャッチには敬意を表しますが、立ち上がった瞬間、左手はボールをキャッチしたグローブを高々と掲げ、右手ではすかさず帽子を「浅く」かぶり直してました。
    ほんと、なんだかなぁ。

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    避けていた話題「名付け」。

  • 2010.08.05
  • 日刊サイゾーの連載記事「のり・たまみのへんな社会学」。その第4回目として、「読み方は自分で決められる!? あなたが知らない日本人の名前の秘密」という記事があげられていました。
    簡単に言うと、最近はおかしな名前が多いけれど、名前の読みに関しては戸籍登録においての必須自行ではないので自由に決められる、と。つまり、読み方については役所などで「名前の読みを変更したい」と告げることで簡単に変えることができる、と。なので、現在おかしな名前を(読み方に関して)付けられて悩んでいる人たちも簡単に変えられるのでご心配なく──という内容でした。

    そしてもうひとつ。非モテタイムズの記事としても「『人とは違う我が子の名前』に執着する親達」というエントリーがありました。
    こちらはタイトル通り、「人とは違う」ということに意識が向きすぎているのではないか、とこの現象を語り、それはテレビやインターネットなどで多くのサンプルが見られるようになった結果だろうとまとめています。

    で、サイゾーの記事に例として取り上げられていた名前は、
    ・光宙→ぴかちゅう
    ・十兵→くりすとふぁー
    ・苺苺苺→まりなる
    ・樹美羅→じゅびら
    一方、非モテタイムズで例として挙げられていたのは、
    ・流星→おりおん
    ・珠愛→じゅえる
    ・雪麗来→しぇれら
    ・颯月→ふわり
    など。まぁ、サイゾーの例は少し行き過ぎな感じもしますが、非モテタイムズの方は実にありそう。これらは「珍名サイト」としてあまりにも有名になった「DQN ネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」からの抜粋だと思われます(※ちなみに「DQNネーム」というのはすっかり定着している言葉だと思いますので、以降、これを用います。「珍名」なんて可愛げのあるものですらなくなった、ということでしょうね。DQNの意味は「wikipedia」から「DQN」を参照。ここにDQNネームについても書かれています)。

    で、さっそくDQNネームのサイトから「最近の登録」として5日分を挙げてみます。
    8月5日登録分
    ・励歩→れある
    ・日記維→にっきぃ
    ・巴里仔→ぱりす
    ・俐琥→りく
    ・碧莉→あいり
    8月4日登録分
    ・和花→ののか
    ・葵音→あおね
    ・葵空→あおぞら
    ・心侑莱→みゆら
    ・京楓→きょうか
    8月3日登録分
    ・月彩→るい
    ・煌海→きら
    ・明音桜→めとろ
    ・香澄→こすも
    ・茉音→まろん
    8月2日登録分
    ・澄和→とわ
    ・梓瑞生→しずき
    ・友元→とも
    ・涼翔→りょうが
    ・温希→のんの
    8月1日登録分
    ・陽葵→ひまわり
    ・千愛→せな
    ・遥羽→とわ
    ・仁敢→とあ
    ・綺花→あろは
    で、まぁ、こんなのが次から次へとまるで雨後の筍のように毎日毎日湧いてきているのだから驚愕というかなんというか。
    ちなみにちなみに、このサイトでは「DQNランキング」というのがあって、そこでは賢一郎(けんいちろう)が2位、誠太郎(せいたろう)が5位になっているのですが、これはこの2人が女の子だからです(このDQNランキング、日々更新されているのですが、1ページに30人分の名前が掲載されていて、590ページ、総計17,700ものDQNネームが登録されているのだから驚きです)。


    さて、で、この話題。避けていたのには理由があって、それは僕がつい最近子供を持ったばかりだからです。こうやって最近に名付けに対して意見を言うのであれば「ではおまえはどうなんだ?」ということになりかねません。だからといって子供の名前をさらすのも抵抗があるし、かといってさらさない状態で「ウチの子は普通の名前です」と言ったってまったく説得力を持たせられません。
    そしてもうひとつ。こうやって意見を述べて行くにあたっては、なんらかの具体例を挙げざるを得ません。そのことで他人の名前をDQNネーム扱いしてしまうことに抵抗があったのです。
    ただ、いくらなんでもおかしい、やっぱり我慢できない、そんな思いもあってちょっとぶちまけてしまうことにしました。

    さてさて。ここからがようやく本題なのですが、僕が根元的に嫌悪感を覚えているのは、自分が文章とかそういったものに携わる仕事をしているからかもしれません。
    文章を紡ぐ場合、単に思いつきや感覚で構成しているわけではなく、考えて悩んで、試行錯誤が繰り返された果てにそれらが生み出されており、そこには「いかにわかりやすく」書くか、「いかにうつくしく」表現するかといった苦労があるものです。そして日本語はそういった欲求と要求を満たすに相応しく、美しい漢字や美しい語感のある、世界でも特徴的な言語であるものだと考えています。それなのに、言葉の響きからも、それをあてた漢字からもなにも感じ取ることのできない名前をつけるのは日本語に対する冒涜であるとすら感じてしまうのです。

    例えば(本当にいたら申し訳ないとは思うのですが)、「さなは」ちゃんという子供がいたとします。漢字は……、「紗那羽」とでもしましょうか。このひらがなと漢字、それぞれの組み合わせからは何も伝わってきません。これは僕が考えた「想像上」の名前ですから、実際に付けられる名前にはそんな名前はないだろうと、上に書いたDQNネームサイトの8月2日登録分とされた例を見てみると、「しずき」ちゃんという子供がいますね。漢字は「梓瑞生」。それぞれの漢字の意味を調べてみると──。
    ・梓→「あずさ」という木の名前 など。
    ・瑞→めでたい、みずみずしい。形のよい玉 など。
    ・生→生きる、生まれる、生える など。
    まとめると……、まとめられません。ただ、この仮名からも漢字からも、何も伝わってはこないこと、これだけは間違いなく言えるのではないでしょうか。

    もちろん、この名前には両親によってこめられた思いが入っているのでしょう。あるいは、お母さんが「梓(あずさ)」さん、お父さんが「瑞人(みずと?)」さんとかで、そこから生まれた子供、という意味があるのかもしれません。こういったように、一概にその名前はダメだ、と決めつけるのは難しく、それだからこそこれだけおかしな(不思議な)名前が氾濫することになったのだとも思えます。

    で、ダメだとは言えなくても、やっぱり少し(というか、どうやらずいぶんと)おかしいと思わざるを得ない場合というのを挙げてみます。

    ■ 漢字の読みの一部を抜粋
    これは上に書いた「梓瑞生」ちゃんの、「瑞」の字がまさに当てはまりますね。この字は「ズイ」または「みず」と読むことはあっても単独で「ず」と読むことはできません。こういった例が非常に多いのがこの問題の大きな特徴です。
    「愛」を「あ」と、「心」を「こ」と読むあたりにはじまったと思われるこのムーブメントは留まることを知らず、例えばやはり上に書いた8月2日分を見ると、「友元」ちゃんという子がいます。これで「とも」と読ませるらしいのですが、「とも」なら「友」だけでいいのでは?と首を傾げたくなります。「一番じゃなきゃダメなんですか? 二番じゃダメ?」とばかりに、「友だけじゃダメなんですか? 元もつけなきゃダメ?」と尋ねたいくらいです。

    で、今回調べていてわかったことなのですが、漢字には「名乗り読み」というものが紹介されている場合があります。これは音読みでも訓読みでもなく、名前に使われるときにこう読まれることがあるという、いわば一例を示したにすぎないものがあるのですが、これがあることによってこの「抜粋問題」はさらに複雑化していきます。
    例えば「彩」という漢字があります。ご存じの通り、これは「サイ」や「いろどり」と読む、非常に美しい漢字です。で、上戸彩さんや石黒彩さんをはじめとして、多くの女性の名前として使われているこの漢字ですが、実は「あや」も名乗り読みに過ぎないのであって、彩という漢字の正式な読み方としては含まれないのです。
    ところが、この彩という漢字、これを「あや」と読めない人はほとんどいないように、この名乗り読みが一般化する場合があります。で、彩を「あ」や「や」と抜粋して読ませるような名前が誕生します。「彩麻音(あまね)」ちゃんとか。
    一般化してきている彩ならなんとか、と読みこなすことができても、「大」という字に対して紹介されている名乗り読み「お・おい・おお・おおい・おおき・き・たかし・たけし・とも・なが・はじめ・はる・ひろ・ひろし・ふと・ふとし・まさ・まさる・もと・ゆたか(※「1から始める姓名判断と名付け」より」のなかから、「は」とか「ひ」とか「ま」、はたまた「る」なんてものをあてられたのでは完全にお手上げです。

    で、この一部抜粋問題、ある意味で我々日本人が願ってやまなかった問題を片付けてくれることができます。それは「ん」を表す漢字です。ただ、だからといって「健康で元気な子供を」なんて願いを込めて「健元太郎(けんたろう)」などと付けていいはずがありません。


    ■ 漢字の意味がわかっていない
    DQNネームのサイトを見ていくと(個人攻撃みたいになるので、本当は望ましくはないと思うのですが)「羽凪(まうな)」ちゃんという子がいるみたいです。その読み方にも仰天ですが、羽ばたいたら必然的に風は起こるもの。一方、凪という字は風が止んでいる様子を表したもの。この2つを組み合わせて、子供にどのような生き方をしてほしいと思ったのでしょうか。
    そしてもう一例だけ。「久憂我(くうが)」ちゃん。もうこうなってくるとネタなのか本当なのかわからなくなってくるのですが、「久しく憂う我」とは。

    上にも書きましたが、日本語というものは意味を持った美しい漢字と、なにかをイメージさせる美しい語感という特徴を併せ持った世界でも希有な言葉だと思っています。英語圏の人がアルファベットを勝手に組み合わせて、響きのいい音を名前とするのとは違うのです。


    ■ 音訓の混同
    例えば、「綾夏(あやか)」ちゃんという子がいたとします。仮定の話です。「柚那(ゆずな)」ちゃんだっていいのですが、これらはいずれも「音読み+訓読み」になってしまっています。いわゆる「湯桶(ゆトウ)読み」とか「重箱(ジュウばこ)読み」と言われるものです。
    本来的には日本語は日本古来の読みと、大陸から入ってきた読みとのふたつのものがあり、それぞれ「訓読み」、「音読み」とされていることは学校でも習ったはず。この音と訓は混同するべきではないので、例えば「売買」という言葉は「バイバイ」もしくは「うりかい」と読むわけで、「バイかい」とか「うりバイ」とは発音しない、ということです。
    名前はある意味においては独自に、いわば親の勝手な判断で付けるわけですから、必ずしもこのルールに厳密である必要もありません。湯桶読みや重箱読みの例としても、朝晩(あさバン)や株券(かぶケン)、敷金(しきキン)、台所(ダイどころ)、番組(バンぐみ)、役場(ヤクば)など、日常生活に溶け込んだものも数多くあり、必ずしも間違いだとは言えません。ただ、名前とは自分で名乗るよりも人に呼んでもらう回数の方が圧倒的に多いもの。まずもってして「人に読まれる」ということを意識した場合、相応しいとは言えないでしょう。


    なぜ、どうしてこのようなおかしな名前が出回ることになったのか、その「犯人探し」としてインターネットやテレビ、本などの情報に因るところが大きいとする意見があります。実際にそれはある意味においては正しいでしょうが、一方で、名前は時代に応じて変化しつづけており、もはや古くさささえ感じる「○○子」という名前が流行したとき、あるいは男性の名前としての、武や宏、誠、剛など1文字名が流行したときにも先時代の人たちからは驚愕されたとも言われます。ただ、それでも現在のように大問題となることがなかったのは、それらが誰にでも読むことができ、その漢字から親の思いを推察することができたからではないでしょうか。
    意味もなく単につけたいという理由だけの漢字を用いたり、意味のない語感だけで名前の読みを考えたりすることでこのような状況が生み出されているのだろうと思いますが、現在は、人と違うものを、特別なものをということにこだわりすぎて、結果としてまわりもおかしな名前だらけという奇怪な状況になっているような状況です。その子が特別であるか、人と違う子であるかどうかは、名前ではなく親が生き方を示すことで、その子自身が獲得すべきものであって、DQNネームとしてクラスで一番になったとして何が嬉しいのでしょうか。

    最後に、鈴木太郎くんという子がいます。今はもう高校生くらいになっているかと思うので、子というのも失礼なのですが、この人は小学5年当時、11歳という史上最年少で漢検一級に合格したことで知られました。これはご両親の影響だったそうで、TVチャンピオンの「親子漢字王選手権」にもお父さんと一緒に出場されていました。太郎くんという名前は、ご両親が岡本太郎さんに影響を受けたからという話だったと思いましたが、例えどんなにありきたりの(今では逆にありきたりではありませんが)名前であっても、両親とともに目標を見つけることで「特別な存在」になることができたという典型的な例だと思います。

    そしてなにより日本が誇る世界のスーパースターは、鈴木一朗さんです。
    まぁ、イチローは次男なのに一朗ですから、ある意味では珍名なのかもしれませんが。

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    徹底的に叱らない。

  • 2010.06.25
  • 唐突ですが、子供をとにかく叱らないそうです。
    良いか悪いかはともかくとして『「叱らない」しつけ 子どもがグングン成長する親になる本』というものも発行されているくらい。
    で、amazonで、この本のレビューを見てみると、30件のレビューがついていて、平均点が4.5点。同じ著者の本には『「否定しない」子育て 親の「話す技術」「聞く技術」21』なんてものもあって、これはレビューが1件ながら満点の星5つ。

    いずれにしても本の内容がわからない以上、それこそあれこれ“否定”するわけにはいかないのですが、『「叱らない」しつけ』について書かれたレビューを見てみるだけでも、どうにも腑に落ちない。もちろん、人それぞれに考え方や方法があるわけですから、僕の考え方が正しいとも間違っているとも言えず、こればっかりはどうにも……なのですが、まぁ、ちょっと……モゴモゴモゴといったところ。

    で、本は読んでいないのでなんともかんともわからないので一切関係ない立場ということで書いていきますが、「叱らない」というのはどうやら昨今の流行のようであります。「叱らない」というか「否定しない」というか。

    これは、例えば「○○してはいけない」と言う否定型で「叱る・しつける」のではなく、「□□しようね」と肯定型で伝えようというのが、ものすごくざっくりとした表し方なのですが、極端な例を挙げれば、高い(危険な)場所で遊んでいる子供に対して、「そんなところで遊んじゃダメ」と言うのではなく、「こっち(平らな、安全な場所)で遊ぼうね」と伝えましょう、という感じ。で、これが極端すぎる事例かといえば、これがあながち遠からずなのでわざわざこうして書いているわけです。

    で、本当にこの肯定型だけでいけるのか検証です。

    言葉には裏表があるので、言葉の使い方を変えることによって、非定型を肯定型に変更することはある程度は可能だと思います。また、上に書いた例のように、場所や目的を変更することで否定しない言い方に変えるということも可能ではあると思います。

    で、例え話。
    僕は小さいころから釣りが好きで、今でも趣味として続けているのですが、この「釣り」を子供に教えようと思ったら、肯定型だけではとてもとても、と思ってしまいます。
    釣りでは、先が鋭く尖った針を使うし、糸を切るのにはハサミを使うし、仕掛けによっては重たい錘も使うし、それらを長い竿にくっつけてブンブンと振り回す自体も予想されます。また、釣れる魚にしても、鋭いトゲを持ったもの、毒を持ったもの、あるいは捕獲することや持ち帰ること、リリースすることが禁止されている魚もいます。海や川、湖といった釣り場は、水辺に近づきすぎたり、天候を見誤ったりといった、安易な行動は死に直結しますし、同じ釣り場での対人関係などもとても重要な要素のひとつとなります。そういったすべての事柄を伝えるのに、「□□しようね」なんて(ある意味)生易しい言葉で対処できるのかでしょうか。
    ・針はこう持とうね
    ・ハサミはこう使おうね
    ・竿は気をつけて振ろうね
    ・すぐに魚には触らないようにしようね(“ない”が入ってしまいました。残念)
    ・このお魚は逃がそうね
    ・こっちで釣ろうね
    ・あっちに投げようね
    うーん……。これらすべての言葉に対して「どうして?」と問いが返されたらどうしましょうか。「危ないからだよ」と返しましょうか。だとしたら最初に、「危ないから、ハサミはこう使おうね」と言いましょうか。
    なんとかできそうな感じはします。

    でも、それでも僕は事前に「絶対してはならない、絶対守らなければならない禁止事項」をひとつずつ時間をかけてきちんと説明し、それらが守られなかった場合には厳格な対応を取る必要があると感じています。それは漠然とした教え方では危険を防御できないからです。

    こういう考え方には、「最初からダメなことばかりを教えてしまうと、せっかく興味を持っても、おもしろいと思わなくなってしまう」という意見によって抵抗を受けるでしょう。
    でも違います。こと釣りに関してのみのことを言えば、どんなに禁止事項でがんじがらめにされたとしても、魚がかかった瞬間の、釣り上げたときの、あの興奮を体験すれば、そして、これを体験するためにたくさんの守らなければならないことがあるのだと考えられれば、そんなのを守ることぐらいなんともないことになるはずです。
    子供に「楽しみ」を与えてあげられない、大切なものを教えてあげられない親が、子供の様子にビクビクおびえながら子育てをしているから、「せっかく子供が興味を持ったのに」と考えてしまうのではないでしょうか。

    例えばご飯。「また今日もハンバーガーを食べさせてるの?煮物も食べさせなさい」と無理矢理食べさせようとするお姑さんに対して「せっかくこれなら食べると言ってるんだから」。
    例えばゲーム。「こんな時間までゲームさせてるのか?」と帰宅したパパに言われて、「せっかく興味を持って夢中でやってるんだから」。
    まぁ、こういう例は少ないにしても、「子供の興味」や「やる気」だけで物事を判断するから、うまく叱ることができないんじゃないかと、僕はそう感じます。
    スポーツ選手だってそう。すべての成功しているプレーヤーが、はじめからうまく、褒められることだけでその地位を得たわけではないでしょう。それでもホームランを打つことの楽しさや、相手を打ち負かしたとき、昨日より早く走れたとき、そういったさまざまな楽しさを教え、与えてあげることで、単なる「興味」や「やる気」より強い継続力が出てくるのではないでしょうか。


    少し脱線しましたが、もちろん日常生活においては、なにをしでかすかは事前に想像つかないわけですから、あらかじめ危険を想定して禁止事項を伝えきることは難しいかもしれません。それによって、事前の注意なく、事後にいきなり叱りつけることだってあるのかもしれません。その場合にも「~~しようね」で対応するのでしょうか。
    いきなり叱りつける、もちろんそれはけして褒めらることではないのかもしれませんが、それでもその「叱る」のか「叱らない」のかの判断は、その行動に対する危険度、反社会度を親が判定して決めるしかないのではないでしょうか。
    子供は「してはダメなこと、守らなければいけないこと」を知りません。「愛情を持って接することで子供は自然と親が嫌がることはしなくなる」という考え方もあるように聞きますが、この「愛情」という言葉が実はくせ者。子供の行動すべてを「親の愛情」という漠然としたものの深度で図られたのでは、たまったもんじゃありません。
    「ウチの子が言うこと聞かないんです」→「愛情が足りませんね」
    「ウチの子が偏食するんです」→「愛情が足りませんね」
    「ウチの子がよその子をいじめてるみたいなんです」→「愛情が足りませんね」
    「成績がよくならないんです」→「愛情が……」
    これではなにか問題に突き当たる度に「自分の愛情が足りなかったのでは」と、ノイローゼになってしまうでしょう。

    “愛情”などという漠然としたものに支配される前に、しっかりと考えなければいけないのは、とにかく「叱らなければ」いいわけでも、「叱れば」いいわけでもないはずだということ。いいことをしたり、なにかを達成できたのであれば、ごく自然に褒め、悪いことをしたり、決まりを守らなかったら、ごく自然に叱る──、こんな単純なことがどうしてできないのか、そこが一番の問題なのです。いろんな知識を詰め込みすぎて、いろんな情報に頼りすぎて、本当に大切なことが見えなくなっているのではないでしょうか。


    さて、ここで今まで書いたことを全部白紙に戻して、百歩譲って、子供が2歳や3歳、5歳や10歳であるのなら、「叱らない」「否定しない」でもまだいいでしょう。
    問題は、この「叱らない」「否定しない」が、中学生や高校生に対しても行われているようだということです。

    例えば×をつけない採点というのがあるそうです。
    間違いを指摘して単に×としてしまうのではなく、「もっとこうしたらもっと良くなったのにね!」みたいな助言をする採点の仕方で、どんな間違いであっても、それは間違いではなく、限りなく△に近くなるという、学生にとっては夢のような採点の仕方です。
    もちろん助言があれば、確かにわかりやすいです。「そうか、もっとこうすればよかったのか、ふむふむ──」と学生は感じるでしょう。復習として学びやすいし、理解力も深まりそうです。
    こういう×をつけない、悪いところを指摘しない、否定しない方法の根本にあるのは釣りのところであげたものと同様に「注意してしまうことで子供のやる気をそいでしまう」という考え方のようです。どんなに嫌でも勉強はやらなければいけないわけですから、せめてやる気だけでもなくさないように、というところから来ているのかもしれませんが(あるいは単にやめられたら営業的に問題が生じるのかもしれませんが)、果たしてそうでしょうか。「できないこと」「苦手なこと」「ダメなところ」をきっちりと教えてあげる、そのうえでそこが克服できたとしたら、それは喜びにはならないでしょうか。そしてなにより、できないことを指摘することでしか「なにをしなければならないのか」は伝えられないと思うのですが……。

    僕はこういう教育の仕方は、なんというか、子供の手を引っ張っているだけのように感じます。子供自体はあるポイントに立っていて、足はそこから動いていないのに、手だけを引っ張ってその先にあるものに触らせてあげているような、そんな感覚です。子供はその先にあるものを少し触ることによって、自分がそこに到達したように感じるでしょうが、肝心の本体は残ったまま。手が伸ばされれば伸ばされるほど広い範囲に手が届き、多くのものに触れることはできるようになるでしょうが、結局は触っただけで、それを自分のものとしているわけではない、そんな感じです。
    「頭でっかち」──。そんな言葉が浮かびます。身についていない、体験を通していない、単なる知識──。現代の子供に応用力がないと言われるのはそういうことが原因なのかもしれません。


    楽しく子育て──。
    これもよく聞かれる話です。
    僕はまだ子育てをはじめたばかりで、まして、我が子はまだ親の存在すら理解できないような状態ですから、子育てについて語る資格を得ていないのかもしれませんが、子育てはけして楽しいものではなく、とても辛く厳しいものだと考えています。
    子供に“愛情を持って”接し、子供の人格を“尊重”し、子供の“理解者”になる──。一見、すごく正しいことのように見えますが、それはもはや教育ではなくて、友情や恋愛です。

    それはもはや「楽しい」子育てではなく「楽な」子育てではないでしょうか。

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    スクロール問題発生。

  • 2010.06.13
  • iPhone 4の発売が正式決定し、そわそわしている方も、まったく気にも留めていない方も、さまざまな週末だと思いますが、iPhone人気から起こる問題をひとつ見つけてしまったので、なんとなく。

    いまやブログは日常生活にごく一般的に入り込み、猫も杓子も、とまではいななくとも、まぁ、なんらかの形でブログに関わったり接したりしている人がほとんど。もちろん僕だってこうやって(かなり不真面目ではあるけれど)書いているわけで、どちらかというと新しい文化には無頓着である僕が書いているくらいですから、とっくの昔に成熟している業態だと考えています。

    で、ブログ。
    ブログが悪いとは言いません。
    ただ、ブログとiPhoneが重なっていくと問題点が出てきますね。

    そう、スクロール。

    なぜだかどうしてか、昨今の方々は文章をとにかく切れ切れにする。
    ブログにはじまり、ケータイ小説、いまや普通の小説ですらかなり切れ切れの文章を見かけることもあって、正直あまりいい気持ちでいるわけではないのですが、この切れ切れのブログ、ケータイで読まれることを意識しているという。
    ケータイでブログを閲覧してみると、もちろん機種によってさまざまな表示方法があるわけでしょうが、一般的に1行は20字前後くらい? となると、その文字数で読みやすいように、と文章を切れ切れにしていく。

    上の文章だとすると、
    ~~・~~
    ケータイでブログを閲覧してみると、
    もちろん機種によってさまざまな
    表示方法があるわけでしょうが、
    一般的に1行は20字前後くらい? となると、
    その文字数で読みやすいように、
    と文章を切れ切れにしていく。
    ~~・~~
    といった感じ。

    で、これも読みにくい。
    で、進化形がこんな感じ。

    ~~・~~
    ケータイで
    ブログを
    閲覧してみると、

    (以下略)
    ~~・~~

    で、さらにさらにひどいのがこんな感じ。
    例題となる文章は「今日は噂のラーメンを食べた。おいしかった」

    ~~・~~
    今日・・・・・


    なんと!!!


    あのっ!


    噂のっ!!


    ラーメン!!!!


    ついに!!!!!!!!


    食べた!!!!!!!







    うまかったっっっっっっっっ!!!!!

    ~~・~~

    みたいな。

    で、これをケータイで見るときに、一回では表示されなくて、再読み込みをする度にアクセスがカウントされるとかされないとか、だから切れ切れにするのかとか、いや、違うんだ、とか……。まぁ、どっちにしても、世間にはこんな文章が溢れているわけで。

    で、ケータイはまだいい。
    なぜなら、上向きボタンやら下向きボタンやらがついているから。
    それをピッピコピッピコ押していけば、あるいは押しっぱなしにしておけば、上のような「行数だけ使って言いたいことはこれだけ?」みたいな文章だって、まぁ、読めます。その前に、わざわざケータイのパケット料金つかってまで、そんな文章読むか?といったツッコミはとりあえず置いといて。

    で、iPhone。
    これ、無理。
    ご存じのようにiPhoneは指でスクロールできたりするタッチスクリーンが魅力。となると、上のヘンテコリンな文章を読むために、何度指を行ったり来たりさせなきゃならんのか。きっと、みんな親指が腱鞘炎になりますよ。

    さて、おそらく、世の中はケータイの主力はきっとスマートフォンに移っていく。日本人のことだから、スマートフォンをさらにああしてこうして、現在のものとは違う形に変化していくことは十分考えられるけれど、それでも間違いなく移っていく。
    スマートフォンの特性はなにか。それは多くの情報を、より簡単手軽に手に入れることができ、管理することができるということ。いつでもどこでもどんな場面でも、世界中に存在し、刻々と更新される情報を手に入れることができるということ。もちろんすべてのユーザーがそういった使い方をするわけではないでしょうけど、それでもやっぱり、

    今日・・・・・


    なんと!!!


    あのっ!

    みたいな書き方は淘汰されていかなくてはならないでしょう。まぁ、こんなこと僕がわざわざ言わなくてもいいことではあるんですが。

    それより今思ったんですけど、iPhoneとかでWEBブラウンジングとかするときって指を右だ左だに動かすわけでしょう? ケータイの十字キーのようなボタンみたいなのを画面の右とか下とかに配置できるアプリ作ったら売れますかね。
    あ、こういうのって公開しちゃマズイな。

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    なんのために働くのかが見えない。

  • 2010.06.12
  • 先日、「キャリア官僚を目指す東大生が減少している」というテレビプログラムを見ました。細かくは覚えていないのですが、
    ・キャリアを目指している
    ・生涯賃金の多い外資系を目指している
    ・迷っている
    という3タイプの現役東大生が、それぞれにその理由を話し合うというものでした。そこで語られる内容には(もちろんテレビという性格上、おもしろおかしく編集がなされ、事実と大いに異なってしまったことも十分考えられますが)びっくりさせられると同時に考えさせられることがありました。

    「天下りの何が悪いのか」と語る若者がいました。彼は、「天下りがないのなら、最高学府からさらに国家試験を経て、最難関に到達したことのご褒美がないじゃないか」と語っていました。
    「官僚になんかなりたくない」と語る若者がいました。彼は「東大生ってチヤホヤされるのが好きだから、評判の悪い官僚になんかなりたくない」と語っていました。
    「官僚との合コンと、外資系との合コンとがあれば、迷わず外資系の合コンに行く」と語る女子学生がいました。その言葉を受けて、男子学生は「なおさら官僚にはなりたくない」と語るのでした。

    職業とはいったいなんなのでしょうか。そして大学の役割とはいったいなんなのでしょうか。

    ~~~・~~~
    たとえば、父親がサラリーマンで「営業」という部署で働いていた子供がいたとします。まぁ、話の都合上、この父親は非常にやり手の営業マンで、帰りが遅かったり、休日の接待があったりしたものの、年収は高く、母親は常日頃からそんな父親の自慢を子供に聞かせていた、とします。子供は父親に憧れ、自分もサラリーマンになって「営業」という仕事をしたい、と思うようになった、とします。
    で、大学では商学部に入った。商学部ってなにをするところかイマイチわからなかったけど、俺は営業になりたいんだ。法学部だ文学部だ工学部に行ったって仕方がないもの。
    で、事実、彼は優秀だった、とします。大学ではサークルの主宰者を助け、一緒に汗をかいて規模を拡大させ、イベントを成功させていった。コネクションを築いたり、相手を説き伏せたりするのがとにかく上手だった。高校時代に所属していたラグビー部では上下関係を叩き込まれていたし、一方で後輩からの信任も篤かった。
    彼は某大手企業の営業部署を希望して就職試験を受けた。彼を知る誰もが、彼が受からないわけがない、と思っていた。
    ところが実際、彼はその会社には採用されなかった。彼が致命的なミスを犯したわけでもなんでもなかった。ただ、同時に試験を受けていたなかに、別の抜きんでた存在があっただけだ。代わって採用された彼、彼は東大法学部の学生だった。成績は抜群に優れており、TOEFLやTOEICのスコアも非常に高かった。この東大の彼は「給料が高い」という理由だけでこの会社を選んでいた。
    ~~~・~~~

    まぁ、もし、実際にこんなような状況で落ちた彼がいるのなら、その彼の適正を見抜けなかったアホな人事担当者しかいない会社に入らなくてよかったと思います。ただ、「なくはない」、そう思います。

    たとえばアナウンサーという職業があります。別にアナウンサーが問題なわけでも嫌いなわけでもなんでもないのですが、このアナウンサーという職業(それも数千倍とか言われているわけですが)に就いている方のなかに法学部出身という方が結構います。もちろん、それが悪いわけではありませんし、法学部は法律家になるためだけの学部ではなく、政治を学んだり、社会を学んだりする学部も多いようなので、アナウンサーを志望するのに学んでおいて損のない分野だとも思います。ただ、法学部に入って、どうしてスポーツニュースやらワイドショーやらバラエティ番組やらを担当しているんだろう、って素朴に思うんです。法学部としての経験はどこかで活かせているのだろうか、って(医学部出身のアナウンサーさんもいらっしゃるようで、なんともかんとも)。
    経済学部出身の農家、工学部出身の営業社員、法学部出身のアパレル会社社長……、こういう例はけして珍しくはないものだと感じています。こういった例が起こりうる可能性として、まず、「高校卒業程度で進路を決めることができない」という理由はあるでしょう。次に、「当初は弁護士になりたかったのだけど……」という例もあるでしょう。また、法学部であれば営業活動を行うにも会社を経営するにも、必ずしも無駄ではないわけですから、まったく意味がない、と言い切ってしまうこともできません。

    でも問いたい。改めて、学校って、大学って、そして就職ってなんなのでしょう。

    僕は大学は大きく3つくらいに業態を変化させた方がいいのではないかと思っています。
    ひとつめは弁護士や医師、美術や音楽、建築や教育、農業などといった、いわゆる職業訓練校としての大学。
    ふたつめは工学や理学、生物といった理科学や、芸術関係、医学関係などの研究機関としての大学。
    みっつめは「趣味」としての知識向上を目的とした専門学を学べる大学。

    もちろん、この3つだけに「仕分け」してしまうと、「ただなんとなく大学に行く」ことがかなり制限されてきます。よくわからないまま経済学部に行き、よくわからないまま会社を選び、よくわからないまま仕事をする──。言葉は悪いですが、ごく一般的な、非常に大多数の人たちの「進路」が閉ざされてしまう可能性もあります。
    でも、よくわからないまま会社を選択し、仕事をこなしていくのであれば、高卒であってもまったく問題はないはずです。18歳で社会に出ることが不安であれば、高校を5年制にして、より多くの一般常識を学べるように、あるいは「就職専門学校」のような機関を2年制で立ち上げて、進路を決めかねている高校生はとりあえずそこに進学するような仕組みにすればいいのではないでしょうか。

    大学教育には多かれ少なかれ国からの補助金が支払われています。「学費が安い」は「補助金が多い」の裏返しですから、私大の同学部と比較すればおおまかな補助金額もわかってきます。当然、その補助金は私たちの税金です。そうまでして、ある意味「無駄な」知識をつける必要があるのでしょうか(税金を払っているのだから受容する権利はある、という考え方もできなくもないですが)。


    いずれにしても、自分自身が何をしたいのか、どう生きていきたいのか、ということに対する渇望があまりにも希薄なように感じます。学校教育としても、ある程度の初等時代から、そういった将来に向けた生き方を考えさせるようなことをする必要もあるのではないでしょうか。「高校の義務教育化」と言われるように高校はもはや「行く/行かない」を選択する進路ではなく、必ず進むところのようになりました。大学においても少子化の影響から定員割れが多くなり、学校や学部によっては授業料無料(もちろん条件はありますが)や無試験のところも出てきたりしています。「大学の義務教育化」もいずれ言われるようになるかもしれません。そうなったとき、そこに学部は必要でしょうか。高校の普通科のように、普通学部というものができるかもしれませんね。

    村上龍さんの『13歳のハローワーク』。こういった考え方が、それこそ「普通」に行われるようになるといいですね。「職業に対する解説がいい加減すぎる」などの批判も多いようですが、それは親子での話し合いなどで解決していけばいいこと。そんな稚拙な議論より、「君にはこれだけたくさんの道があるんだよ」と早々に子供に気づかせてあげられることのメリットのなんと多いことか。子供が興味を持つことによって親も興味を持てるだろうし、その職業について調べたりすることによって子供が真剣に就職(職に就く)ということを考えられるようになるのではないかと思います。
    僕が子供のころにこんな本があったら、僕の進路も大きく変わっていたかもしれません。

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    臍帯血の活用促進を。

  • 2010.04.15
  • 来月の我が子誕生に向けてさまざまな準備に追われているわけですが(詳細は拙ブログ「生活のカケラ。」にて)、その中でも哺乳瓶やオムツなどは産後すぐに必要だとしても、スーパーやドラッグストアでもいつでも手に入るわけで、準備するに越したことはないのだけど、慌てるほどのものでもないですね。ベビーベッド、チャイルドシート、そういったものも急ぐ必要はあるけれど、やっぱり最重要ではないわけで……、で、なにを言いたいかというと、臍帯血の話。こればっかりは生まれたその日、そのときにしかどうすることもできないものなので、絶対に忘れてはいけません。

    で、まずは臍帯血ってなんだろうってところから。
    Wikipediaによれば、「臍帯血とは、胎児と母体を繋ぐ胎児側の組織であるへその緒(臍帯;さいたい)の中に含まれる血液。造血幹細胞が多量に含まれていることが知られている」とのこと。

    で、この文中の一番大切なところは「造血幹細胞」という部分。

    では、造血幹細胞とはなんなのか、となると話がどんどん広がってしまうので、簡潔に説明すると、造血幹細胞とは、主に骨髄中にあって、血液を構成する白血球や赤血球、血小板を生み出す元の細胞となるもの。つまり、「血液の元」と考えればほぼ間違いありません。血液を構成している細胞には寿命があって、例えば白血球に含まれる好中球は1日、赤血球では120日程度と言われています。で、死ねば使えなくなるわけで、新しい血液を作らなければいけません。これを作っているのが造血幹細胞です。
    で、造血幹細胞が不良化すると血液の製造ができなくなるわけで、血液は酸素を各細胞に運搬したり、老廃物を運び出したりする大切な役割を持っているわけですから、人体にとっては非常事態となるわけです。このような状態になって、血液量が減少するのが再生不良性貧血です。また、正常な白血球や赤血球、血小板などが作られなくなり、機能低下が起こるもの、これが白血病です。

    これらの病気の治療法として有効なのが臍帯血中の造血幹細胞の移植であり、移植することができるHLAという白血球の型の範囲が広いことから臍帯血中の保存、利用が有用とされています。

    ここまでのおさらい。
    へその緒の中に含まれる臍帯血は、血液を作る元であり、血液の病気の改善に有用、と。

    で、これを取っておいて、こういった治療に役立てようというのが臍帯血バンク。
    この臍帯血バンクには公的バンクと民間バンクの2種類が存在しています。

    ・公的バンク……善意で臍帯血を寄付してもらい、血液病の患者に対してこれを移植する。「日本さい帯血バンクネットワーク」がその連絡調整を行い、臍帯血の保存等の実務は各地の臍帯血バンクが行う。無料。
    ・民間バンク……本人のためにお金を払って保存しておき、将来これらの病気を発症したときに役立てる。「ステムセル研究所」や「シービーシー」など。料金は10年~20年保管で20万円~30万円と高額。

    さて、広く活用できるものなら、公的バンクに保管してもらい、なるべく多くの人に役立ってもらいたいと思うもの。民間バンクは料金も高額ですし、自分の子が血液病にかかる確率等を考えれば、その投資には躊躇せざるを得ないところもあります。それでも、高額な料金を払ってでも本人のために臍帯血を保管する意味があるわけで、それが「再生医療」です。

    また新しい言葉が出てきて混乱してしまいますが、臍帯血の中には間葉系幹細胞という体の組織を作る元となるものが存在していることがわかっています。詳細な解説は避けますが、つまり、臍帯血の中には、血液を作る元となるものと、体を作る元となるもの、これらが含まれていることがわかっているわけです。
    で、この血液を作る元となるものを使って血液病を、体を作る元となるものを使って、機能不全に陥った臓器や皮膚、血管、骨などを再生できるのでは? という研究が進められているのです。

    ですから、子供が将来的になんらかの治療が必要だとわかったときに、保存しておいた臍帯血を用いることで、治療困難と思われていた病気を治すことができるのでは? と期待されているわけで、つまり保険的な役割でこの臍帯血を保存することが望ましいのです。

    やっと全体像が掴めてきました。
    で、上に書きましたが、これを保管するための料金が10年~20年で、20万~30万円。これはけして安い料金ではありません。ただ、子供に病気やケガなどを補償する保険をかけたとして、年間にいくらかかるのか。それを考えれば高い値段ではありません。まして子供手当です。満額支給ともなれば、月2万6000円、年間31万2000円になり、1年で支払いが済んでしまいます。であるのなら、ますます子供手当の使い途がなんだかよくわからないことになりますね。

    前回、「『子供手当』をもう一度考える。」として検証していますが、読売新聞の報道によれば、子供手当の受給対象者のうち、7割が子供手当を「子供のための貯蓄」に回すとの考えを持っているとのこと。もちろん、これは「現在子供を養育している」親が対象の調査なので、臍帯血への出費は考えられませんが、これから出産を控えている家庭にはぜひ考えてもらいたいことだと思うのです。
    また、国や地方、医療機関が率先する形で臍帯血保存を働きかける、もしくは子供手当を流用するといった行動があってもいいように思います。骨髄バンクのように、ドナーの負担があるわけではありませんし、その有用性も高いのであれば積極的に関与すべき話だと考えます。

    で、最後に残念なお知らせ。
    4月9日の読売オンラインの記事。「さい帯血バンク運営危機赤字続き、繰越金も底」から。

    臍帯血を保管する公的バンクには「日本さい帯血バンクネットワーク」があり、実務はその下部組織である現地法人が行っていると書きました。その、「宮城さい帯血バンク」が事業継続困難に陥っているという報道です。
    バンクの報告によると、人件費や検査等で年間3000万円のコストがかかるところ、国からの補助金はわずか2300万円しかないとのこと。2300万円ですよ? わけのわかんない公益法人や独立行政法人には数千億単位でお金をばらまいているのに、人命救助や最先端医療といった観点からも有効性が高いと思われる事業に、わずか2300万円とは。この国の意味不明な仕組みには、もはや呆れてものが言えません。

    ※今回は「日常のカケラ。」「生活のカケラ。」両方に同じ内容を掲載しています。

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    生歌番組があまりにもひどいんじゃない?

  • 2009.12.16
  • いろいろと仕事をしているなかで、つけっぱなしのテレビから聞こえてきたちょっとひどいと思った話。
    こういうことを書くのは本当に気の毒というか、申し訳ないというか、そう言う気持ちもあるのだけど、なんというか気持ちが収まらない感じもあって書かせていただきます。

    今日は仕事が忙しくてずっとPCに向かっていたのですが、隣の部屋では奥さんが生の歌番組を見ているようで、観客のキャーキャーという歓声と歌手の歌声とが聞こえてきていました。
    番組は、はっきり言ってしまおう、「日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト2009」という番組。
    これがね、本当に本当に申し訳ないのだけれど、とにかく酷い。

    ジャニーズがいっぱい出ていて若い観客がキャーキャーうるさくって……、なんてことを書きたいわけではなくて、酷かったのは出場していた歌手の方。
    仕事をしていたわけですし、すべてを見ていたわけではないので、この批判はすごく一方的なものになってしまうかもしれないのですが、「ねぇ、本当に歌を歌って生計を立てている人なの?」と感じずにはいられません。

    うーん、これまたはっきり言ってしまおう。
    特に、Every Little Thing、TOKIO、GLAY、KAT-TUN、浜崎あゆみあたりはもうホントにちょっと勘弁してほしいと思ってしまったほどでした。

    一人ずつ思ったことを。
    ・Every Little Thing
    Every Little Thingは、優しい霧雨のような音楽と、持田真樹さんのとても独特な声、繊細な歌い方が特徴的な大好きなアーティストのひとりです。ですが、少し前から持田さんの歌い方に変化が見えるようになり、特に高音部がまったく歌えなくなっているように見えます。
    もともと「透き通った声でどこまでも上げていく」というタイプの歌い方ではなかったとは思いますが、あまりにも苦しそう。で、ちょっと調べてみると、急性気管支炎を患ってから歌声に変化があったということですが、なるほど、僕もすぐに気管支炎はやってしまうので、それは辛いだろうなぁと納得。
    であるのなら番組側もそういうことを考慮して昔の曲は極力歌わせないようにするなどの配慮が必要ではないでしょうか。一番苦しいのは持田さんでしょうが、自身の喉と相談しながら、これからもいい歌を聴かせてくれると嬉しいです。

    ・TOKIO
    なんだか昔の歌をアレンジしたようですが、そのアレンジが長瀬さんの声や良い所を消してしまっているように思えました。彼はもっと一直線に、やや暴力的に歌いあげる方が上手だと思いますが、少しコネているような歌い方では魅力半減です。

    ・GLAY
    これはもう完全に酷い。まったく声が出ていませんでした。TERUさんも前出の持田さん同様、透き通った声で歌い上げるタイプではなかったように思いますが、それにしてもノドから声を出してしまっていて辛そう。練習不足は否めない感じ。

    ・KAT-TUN
    まぁ、ジャニーズだから、ということは置いておいて、これも酷い。SMAPや嵐など、集団で歌うグループによく見られることなんですが、みんなで歌えばそれなりなのに、個人個人のパートが酷い。集団で歌うところは誰か他の人がサポートでもしているのでしょうか。もっと個人個人が技術を磨くべし。

    ・浜崎あゆみ
    いまさら感もありありですが、彼女ももうちょっと限界。歌えない分、シャウトで会場を盛り上げていたようですが、なんともかんとも。彼女のライブビデオも見たことがあるのですが、これも本当に酷い。疲れてきて後半は、とかじゃないからちょっとたちが悪い。
    浜崎さんは今でもたまに聞きますが、最初のころの曲、例えば『YOU』や『Trust』などは、本当にきれいにていねいに歌っているようで、すごく好感が持てるのですが……、途中から真剣に歌うことがめんどくさくなっちゃったようですね。曲調と歌い方に変化が出てくるのは6枚目の『WHATEVER』あたりから。このあたりから確かにハマサキ色みたいなものが強く出てくるのですが、逆に歌い方は投げやりになっていってるようにも……。


    さて、一方で、実力で這い上がってきた系の歌手のみなさんは見事。
    いきものがかりあたりはまだ若いからということにして、平井堅や桑田佳祐、コブクロあたりは見事。ほかにSPEEDで島袋寛子さんが往年の声を取り戻しつつあるように感じられたのが素晴らしいと思いました。

    もちろん、歌手の方は歌えてナンボですが、そのファッションや言動、ライフスタイルなど、さまざまなことも評価の対象であり、まったく一概に「歌えないのならダメ」というのも難しいとも思います。また、自分自身が歌えてないことを知ってか知らずか、こうやってライブで歌を披露して、観客に聞かせる(こういう場に登場する)時点で、その活動は素晴らしく、賞賛されるべきだとも考えています(生では歌わない歌手も多いため)。
    それでも、いや、それならばこそ、「確実に歌えることのできる曲」を用意しておくなどの工夫も必要かな、とそう思った夜でした。


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    ファミレスの深夜割増適用は?

  • 2009.11.05
  • 久しぶりの「調べるシリーズ」のエントリーとなります。
    前回の「民主党当選議員の経歴」はかなり疲れる調査となりましたが、それなりに見えてきたことがありました。そういう風になれば「調べるシリーズ」も疲れることなく続けていけるのですけど。

    さて、今日はファミリーレストランの深夜料金について調べてみました。
    ご存じない方はほとんどいらっしゃらないかと思いますが、多くのファミリーレストランでは、概ね23時ごろから翌5時ごろまで、「深夜料金」という名のもとに10%程度の料金が割り増しされて請求されます。
    なかには22時からというお店があるようですが、これは労働基準法によって、深夜労働手当を支給しなければならない旨が規定されており、その部分を客側にも負担してもらうといった意味合いのものだと考えられます。

    [労働基準法第37条]
    第3項 使用者が、午後10時から午前5時まで(厚生労働大臣が必要であると認める場合においては、その定める地域又は期間については午後11時から午前6時まで)の間において労働させた場合においては、その時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の2割5分以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。

    これが根拠条文ですが、ちなみに、37条では第一項として、

    第1項 使用者が、第33条又は前条第1項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の2割5分以上5割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。

    が規定されており、つまりは、1項で、まず「残業時間もしくは休日出勤の場合は25%以上の割増料金を支払う」と規定されており、3項で「23時から翌朝5時までの時間帯の労働を深夜労働と規定し、25%以上の割増料金を支払う」とされていますので、万が一、残業時間や休日出勤が深夜時間に入った場合には50%以上の割増料金を支払わなくてはならないわけです。

    もちろん、深夜にお疲れさまなわけですし、深夜料金を払ってでも行きたいときは行くわけですし、この深夜料金に関して不満など一切ないわけですが、ふと、いったいどのタイミングで深夜料金を適用されているのだろう、という疑問に突き当たったのです。

    少し考えれば至極当たり前の結論として、「機械を通して注文が確定された瞬間」であることはあまりにも明白ですが、それでもやっぱり調べてみることにしました。
    調査方法としては、ダイレクトに聞いてみる! が一番。某有名レストランチェーンに問い合わせのメールをしたところ、お忙しいなか本当に恐縮なのですが、お電話でていねいにご回答いただきました。

    結果としては思ったとおり、注文確定時間において割増適用になりますとのご返事。それはそうでしょう、それしか根拠となるものがないのだから。
    で、思ったのは、では、追加注文だけを23時以降に行った場合はどうなるのか? と。これは、もちろんそれだけが割増適用になります、というご返事。しかもこんなおバカな質問にも優しい口調で。
    となるととなると、無料のおかわりをお願いしたときは? もちろん機械操作がないので、適用除外。

    さて、そうなってくると、致し方ない結果として不具合が出てきますね。

    例えば、23時ちょっと前に入店して、ギリギリオーダーが通った場合。
    これはもちろん適用除外対象となります。この場合、客側にとっては都合がいいのですが、実際には23時を越えて働いている以上(法的には22時ですが)、働いている方々には深夜料金が支払われるわけです。料理を作りはじめるのも、運ぶのも、片付けるのも全部割増対象時間なのにも関わらず、一円ももらえないという店側にとっては残念なパターンとなってしまいます。

    もちろん逆残念パターンとして、朝方5時ちょっと前に入店し、ギリギリ5時前にオーダーを通してしまうパターンも存在しますから、店と客はイーブンなのかもしれません。

    人為的要因としての残念パターンは、
    ・23時少し前に入ったのに、注文をなかなか取りに来てくれず、23時を回ってしまった
    ・23時少し前に入ったのに、「あー、俺きめらんねぇよ-」という優柔不断な彼を優しく待ってしまったため、まさかの23時越え。同様に「あ、俺、先にトイレ行ってくるわ」パターンもあり
    ・5時少し前に入って、ゆっくりメニューを選んでいたら、「おい、早くしろよー、俺、チョー腹減ってんだからよー」と、半ばキレ気味に言われたため、まさかの滑り込みアウト

    最初のものはともかくとして、2番目3番目は要注意ですね。
    ですが、逆に女の子が、「選びきれないのー」とか「おなか減ったよー、はやく食べたいよー」とか言ってきた場合に、「あと少しで深夜料金になっちゃうから早く選んで」とか「深夜料金じゃなくなるまでもう少し待ってね」などと言ってしまったら、心のなかでかなり強く「ケチ!」と思われかねないのでこちらも要注意です。


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    民主党(特に小沢さん)にもの申す!

  • 2009.10.29
  • あんまりこういう社会的なことはこのブログでは扱いたくはなかったのですが、どうしても我慢できずに書いてしまうことにします。
    もの申したいのは、民主党の事業仕分け人に関してのことです。

    まずはこのニュース。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091026-00000132-mai-pol

    さらに毎日jpのニュースによると、事業仕分け人について小沢幹事長が3期以上の中堅議員から選ぶように指示したとか。理由について「分厚い資料を見ないといけない」と党幹部に語った、と。また、J-CASTの記事には「(チームが)何をするのかよくわからない」「僕だって(議員を)40年やって、分厚い予算書を見て、これが何のやつだ、いいとか、悪いとか、簡単にできる問題ではない」と発言したと書いてありました。
    一方、鳩山首相は、といえば、時事ドットコムの記事では「1年生でも有能な議員がいるから、ぜひ行政刷新会議で頑張ってもらいたいとわれわれは考えている」と語ったそうです。

    さて、本当のところはどうなんだろう、と調べてみました。

    まず、民主党のサイトから議員一覧を見ます。そこから全衆議院議員を見て、1期と書かれた人の詳細ページを見ます。さらに個人のサイトを見て、プロフィールなどを見ていきます(最終的に1期目の方は107人でしたが手作業ゆえ、間違いもあるかもしれません)。
    それらを抜粋編集したものは、追記にアップしておきますので、「続きを見る」から見ることができます。個人情報の一部ではありますが、議員自身がサイトにアップしているものをまとめただけですから問題があるとは考えていません。ただし、抜粋編集しておりますので、この情報がすべてではありません。より詳しい情報を希望される方は各議員のサイトをご覧ください。

    で、と、早くも結論を言ってしまいますが、小沢さん! あなたは間違っています!

    まず、学歴だけで見ても、東大、一橋、筑波、東北大、早稲田、慶応、明治、立教、法政、上智、青学、横浜国大、中央法科、京大、立命館、阪大、ハーバード、マサチューセッツ工科大、ワシントン州立大、コロンビア大とものすごい高学歴。とくに東大は107人中29人と27%、4人に1人が東大ということになります。
    もちろん学歴だけで人を図ることはできませんが、小沢さん、あなたは慶応でしょう? しかも、言って申し訳ないのですが、50年前に大学受験するのと、20年前に大学受験するのとでは倍率もずいぶん違っているはず。お勉強面だけでも、ずいぶん優秀な人材が集まっていると言えるのでないでしょうか。

    次に資格。弁護士、検察官、税理士、米国MBA、米国公認会計士や農学博士、外科医など、これまたそれなりの資格保持者がいらっしゃる模様です。ちなみに、小泉jrと闘ったことで有名な横粂氏、彼は弁護士なのですね。それも81年生まれで東大法学部卒、2005年には司法試験に合格しているわけですから、かなり優秀な方だということがわかりました。勉強不足で申し訳ありませんでした。

    さて、職歴。省庁出身者がそれなりに多いのですが、それなりに多いということは役所の仕組みがそれなりにわかっている方が結構いらっしゃるということです。テレビでも「予算を組んでいたから無駄がわかる」と言っていた仕分け人の方がいたように記憶していますが、それはまさにその通りでしょう。
    それから銀行や証券、生保といった金融関係が多いことも特徴のひとつかもしれません。それも窓口やら貸し付け担当やらといった小さな(失礼ながら)部署ではなく、ディーリングを行っていたり、M&A担当だったり、日銀だったり、ロンドン支店、ドイツ証券、UBS証券、メリルリンチ日本証券投資銀行部門マネージング・ディレクターを歴任の強者がいたり、シカゴ支店、資金為替部次長兼チーフディーラーを経てUFJ銀行資金為替部次長兼チーフディーラーをしていたり、モルガン・スタンレー証券からUBS証券、メリルリンチ証券取締役副会長兼投資銀行本部会長まで上りつめたりと、とにかくなんだかわからないけどすごそう。
    民間企業においても、丸紅を経て米国下院議員の政策スタッフをやっていたとか、ソニー法務部で法務実務を行っていたとか、毎日新聞社で東京本社デジタルメディア局プロデューサーから編集局夕刊編集部副部長になったとか、住友商事で米国シリコンバレーを中心としたITベンチャー企業への投資業務などをやってましたとか、東洋経済新報社で「会社四季報」編集部にいたんですとか、もう疲れたのでやめますが、切れ者ぞろい。
    それ以外にも市長経験者や県議会議員、会社経営者、植木職人とか……、とにかくいろいろな職種、経験を積んだ人がそろっていることに間違いないわけです。

    で、果たしてこういう人たちは本当に使えないのでしょうか。
    小沢さんの言葉を借りれば、「40年議員をやっていてもわからない」らしいのですが、これらの人たちにもわからない、と決めつけるのはいかにも早計です。
    たぶん、小沢さんは「政治と民間(政治以外の職業)とは違う」という気持ちなのでしょう。民間で通用したからといって、政治の世界で通用するわけではない、と言いたいのでしょう。政治は根回しが必要だし、お金の使い方も利益優先ではないし……と言いたいのでしょう。
    ですが、そういった従来・旧来政治から脱却するために、政権交代を目指したのではないのですか? そして官僚に流されない、無駄なものは無駄と言い切るために、脱官僚・政治主導を旗印としたのではないのですか?
    だとしたら、今回の小沢さんの発言はその意に反しており、民主党を信じて票を投じた有権者に対する裏切り以外のなにものでもありません。
    加えて、「一年生議員にとって一番大切なのは次期選挙で勝つこと」「地元で選挙活動を続けるために土日を返上して仕分け作業をするのは問題」といったような発言もあったかと思います。ソースがはっきりせず、僕のうろ覚えですから、間違っていたら申し訳ありませんが、こういった発言もいかにも旧自民党的で非常に馬鹿げています。
    「一年生議員にとって」に限らず、「すべての議員にとって」一番大切なことは、“選挙に勝つこと”ではなく“政治を行うこと”のはずです。きちんとした政治を行い、実績を残せば、それが必然的に次の選挙に繋がるものだと僕は信じています。もちろん、地道に選挙活動を行い、顔を、声を覚えてもらい、一人でも多くの人と握手をすることによって次の選挙に勝つという手法が実際に存在しうることもあるでしょう。ですが、例えば僕の例で言えば、今回の衆院選では自分の選挙区から立候補している民主党議員の名前も知らず、彼がなにをしてきたのか、なにを行おうとしているのかはまったく知りませんでした。当然、顔も、声も、もちろん握手したことすらありません。けれども僕は彼に投票をしたし、日本全国で同じような投票行動が数十万数百万単位で行われたであろうことも明白です。
    僕らは民主党に期待し、民主党員だからという理由で投票行動を起こしたのであって、いわば、小選挙区においても比例区選挙のような現象が起きていたのだと言えるでしょう。それが本来の選挙における投票行動として正しいかどうかはわかりませんが。
    今後、この4年間に自民党が、あるいはほかの政党が、いわゆる地道な選挙活動を行えば、場合によっては民主党議員は敗北するかもしれません。その場合、敗北の原因は何でしょう。他党の候補者が、民主党の候補者より、より多く握手をしたからですか? だとしたら、選挙というのはなんのために存在するのですか? 選挙を行って、当選する。そして国会で政治を行わず、地元で握手をし続ける。それが次の選挙の勝利に繋がる? そうして勝った候補者が政治家と呼ばれる? いや、それは政治家ではなくて、握手の回数を競うゲームに勝ったというだけの握手チャンピオンです。

    自民党が大敗北を喫した原因、そこには複雑な事情や社会情勢などが絡まり合っていて、ひとつだけを取り上げてどうこう論じることはできないことはわかっています。
    ただ、民主党のマニフェストと自民党のやってきたことを勘案するに、ひとつ明確な原因が浮かび上がってきます。それがつまり、「政治主導」ではなかった、ということです。
    政治家が選挙を重視するあまり国政に参加せず、立法府でありながら原案づくりを省庁にまかせ、族議員や地元貢献度の高い候補者が当選を重ねていく、それが良くも悪くも従来の政治でした。結果として、官僚による官僚のための官僚支配社会となり、無駄な税金が官僚のためにあらゆる事業に支出され、結果として国は莫大な借金を抱え込み、年金は失われました。そういった腐敗国家をなんとかしてもらいたいと、その気持ちで顔も名前も知らない政治家に一票を投じた気持ちが、小沢幹事長はじめ、党幹部のみなさんに真の意味で理解されているのか疑問です。

    そして、脱官僚、政治主導を目指すための布陣が今回の候補者であるのならば、そこには政策通が、政治のあるいは、予算等の精査のスペシャリストが、そして即戦力となる人材が並べられていなければなりません。僕は今回の作業を通して、二世議員を続々排出させてきた自民党とは異なる、ある意味においての“民主党のやる気”を感じることができました。
    ですが、小沢さんは「彼らを使うな」と言い、「彼らにはできない」と言います。彼らの能力を信じることができていないのなら、小沢さんは党を束ねる幹事長失格でしょうし、もし彼らが本当に使えないのなら、そういった人材を候補者として擁立した選挙責任者としてこれまた失格ということになります。どちらにしても小沢さんの今回の発言、行動は自らと候補者との間に大きな禍根を残すものになるのではないかと思うのは僕だけではないように思います。

    ちなみに、この内容をもう少しまとめたものを民主党にも送っておきます。

    【追加記事】
    <事業仕分け>体制大幅に縮小、7人で再開 対象減は必至
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091029-00000153-mai-pol
    32人を7人に縮小? いったいそれで何ができるというのか本当に理解に苦しみます。
    「小沢さんは民間の知恵を借りる」ということらしいですが、その民間から起用するメンバーにいくらの報酬を支払うつもりなのでしょう。自分たちでできることをわざわざお金を支払って他人に託す、それをムダと言うのではないのでしょうか。
    そしてその間新人には研修を受けさせる、って、そういうことこそ、空いた時間や休日等に行ってほしいと思います。まず、国会議員に充てられている莫大な費用そのものが国民の税金であるという意識がないからこういうことになるのではないでしょうか。
    民間の力を借りること、そのこと自体は間違ってはいないと思います。では「研修が大事」となにもかもを民間に委託していったら国会議員はなんのためにいるのか、ということになります。今後もその方針で行くのなら、まずなによりも先に国会議員の定数を大幅に削減する、もしくは議員報酬を大幅にカットするなどの、「自らが仕事をしない分を回す」という発想で望んでもらいたいと切に願います。

    テーマ : 民主党・鳩山政権
    ジャンル : 政治・経済





    ATOK 2009は、意外と早く購入することになった。

  • 2009.10.19
  • 32bitアプリを使っている以上、ATOK 2006のままでも入力はできたので、2009にバージョンアップせずにしばらく使ってみようと思ったATOK。けれども、意外と早くバージョンアップする日がやってきました。



    Snow Leopardを買ってインストールしたのが11日、悩んでいたくせに3日後の14日にはATOK 2009を購入したわけです。
    ATOK 2006をすでに持っていたので、Jsut SystemからJsut MyShopというのに入会をしてダウンロード。4,725円。

    理由は、32bitアプリから32bitアプリをダイレクトに渡り歩ければいいのですが、実際はFinderを経由しないことにはなにもできないわけで、そのたびにATOKがぬけてしまうこと。32bitアプリに戻った際、再度ATOKを選択しなおさなければならないし、さらには、フォルダ名やファイル名をつけるのに、ATOKが使えません。
    もちろん、そんなのはATOKを使わなければいいだけの話ですが、10年以上使ってきて、いまさら違う入力方法に慣れるのは難しいのです。ただでさえ、IntelMacに変わったことで入力の仕方が変わって、ようやく慣れたころだというのに……。

    いずれにしてもこればっかりは仕方がない、と諦めることにしました。
    便利さになれてしまうと、なかなか不便な時代には戻れないものですから。

    このタイミングで、現代人が、取り上げられて一番最初に苦しむものってなんだろうと考えてみました。
    やっぱり携帯電話? PC?
    でも、「表計算をするためにどうしてもエクセルが必要だ!」って、一番最初に感じる人はまずいないだろうから、やっぱりコミュニケーションや情報(そこに含有されているインターネットというもの?)なのでしょう。
    と、早くも結論づけてみても、それらは所詮ここ10年、20年の話。そういったものにそれほど渇望するとも思えません。そもそもそれらはここ最近の文化・文明であって、この先50年、100年後に残ってるかどうかすらわからないわけですから。“今の”っていうくくりで考えれば、それは正しいのかもしれませんが、“今”はあまりにも瞬間的で刹那的で、とらえどころがないもの。もう少し幅広く「文明を手に入れてしまった現代人にとって」というくくりで考えてみると、もう少し違った答えも出てくるのかもしれません。

    で、いろいろ考えては消し、考えては消していくと、ひとつの僕なりの結論に突き当たりました。それは多分、“清潔”なんじゃないかって。




    もちろん、水や食料といったもっと大切なものはいくらでもあります。だけれど、それは“生命にとって”という大きなくくりでのことであって、絶対的な条件。そうではなくて、「一度手にしたら手放せないもの」みたいな感じで考えて見た場合、この“清潔”っていうのはかなり近いように思います。
    例えば、水や食料。これを1回、あるいは1日我慢するってことは、それほどの苦痛を伴うものでもないけれど、“おしりを拭く”ことを人は我慢できるだろうかっていうこと。

    もちろん、例えば路上生活者の方々や開発途上国の方々など、その生活にはピンキリがあって、先進国における一般的な人々とその清潔水準は違います。僕らが汚いと思う環境でも彼らにとっては問題ないレベルの場合もあるでしょうし、すべての人にとって最高の清潔レベルが求められているかといえば話は違ってきます。
    ただ、彼らにも彼らなりの清潔レベルがあって、例えばゴミ箱の残飯をあさるにしても、それはゴミ箱だからであって、いつの残飯かわかっているからあさることができるのではないかと思うわけです。


    そう考えると、清潔は安全といったものに置き換えてもいいのかもしれないません。自分自身を守るための、苦しまないための最低限のセーフティネットとしての清潔。汚したい放題の子供から、親に躾けられ、自分で学んで築きあげた自分なりの清潔感。やっぱりこれはくずされると困るでしょうね。

    そういえばそういえば。
    以前、ドレッドヘアにして半年以上シャンプーをしてなかった友人が久しぶりに頭を洗ったときは、その気持ちよさから涙が止まらなかったって言ってました。
    これはちょっと違う感覚か。でも単純にわかる気がします。

    もうひとつおまけに。
    ATOKを出してるJust Systemsって倒産しそうな会社だったという記事を見つけました。
    これは計画中の株・FXブログの方でいずれ。

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    常盤荘太郎

    Author:常盤荘太郎
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    生活のカケラ。
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    株とFXのトレード日記
    もよろしくお願いします。

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